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樹間からの白浜灯台の眺め

山中激歩連載 【第1回】

房総半島南部を縦断する古道がある。南北に伸びる尾根筋で、踏み跡もしっかりした、昔からの道。戦国時代の里見氏のころから、武士(もののふ)らが歩いたであろう道を、忍足利彦記者がのべ6日かかけてたどった。案内は房州の山を歩くパイオニアである、川崎勝丸さん=鋸南町在住=ら、山仲間。もちろんハイキングルートではないし、道標もない。一般の人では歩けないルートだ。ベテランの案内でようやくたどった「房州古道」である。【全24回、原則として毎日掲載】

(1) 白浜城跡から三角点へ

現在のように、トンネルや橋梁などの土木工事の粋を集めた道は、房総半島南部に縦横無尽に走る。アスファルトで舗装された道には、自転車やオートバイ、乗用車、バス、トラックなどが走り、私たちの生活に欠かせない道路となっている。

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07年7月2日 63,478
幅の広い6尺道

山中激歩連載 【第2回】

(2) 馬頭観音から畑へ

三角点を後にして、本道へ。道幅が6尺もある主道である。これなら馬の往来も可能だろう。白浜城跡からすぐはきつい上りだったが、主道になるとアップダウンのない平坦な道である。平均標高は120bほどか。「このルートは、これから先もほぼ平坦です」と川崎勝丸さん。

道は白浜城と稲村城を結んでいる。前期里見氏の主城2つである。600年前から、この道が存在したことを思うと、タイムマシンに乗って時間旅行を楽しんでいるような感じである。

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07年7月3日 62,561
庚申山へ向かう道

山中激歩連載【第3回】

(3)畑から庚申山へ

館山市畑の集落を歩く。地区の中心部を南北に貫くアスファルト市道の上である。川崎さんによれば、この市道の西側に別のルートもあるそうだが、この山里を歩くのがベストなのだろう。里見の時代にもこの集落があって、集落は白浜城と稲村城を結ぶルートでの最初の人里だ。当時からこの集落がにぎわっていたのは、想像に難くない。

地区の農家の母屋は、長百姓や名主とみられる名家のような構造もある。米づくりは古くからの産業だし、米はまた通貨でもあった。この静かなる山里で、生産される米もかなりの量と品質だろう。その証拠に、市道の路肩に立派な用水があって、音を立てて農業用水が流れている。田には稲が植わり、しっかり根を張っている。里見の時代から、畑の集落はこうだったのだろう。そんなことを思いながら、アスファルトを歩く。

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07年7月4日 60,488
コンクリートの祠内の乙王の墓

山中激歩連載【第4回】

(4)庚申山から乙王墓へ

小高い庚申山を後にする。すぐ下は切り立ったような広域農道の工事現場。この際を慎重に歩くが、危険この上ない。鋭い棘のあるカラスザンショウの若木にズボンの裾を刺される。思わず「ひぃ」と声をあげる。

庚申山を下りると、かつての林道に出る。未舗装だが、がっちりと固められた林道だ。この上りをあがっていく。

館山航空標識所の手前に、旧豊房育成牧場がある。林道はこの牧場内を走る形で伸びる。すでに牧場は閉鎖され、標識所下の市道に出る。左へ進めば、神余の別荘地・東虹苑で、右へ行けば、千倉の名刹・小松寺へ向かう林道である。この舗装道でお昼になったので、路上で弁当を広げる。額に汗がにじむが、ほほをなでる風は優しい。舗装道なのに、車が1台も来ないのがいい。

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07年7月5日 77,845
「西すぎもと道」と刻まれた道標

山中激歩連載【第5回】

(5)乙王墓から切り割りへ

音落ヶ嶽のピークをゆっくり降りる。畑のトンネルからこの先の古茂口の切り割りまでの尾根筋は、館山市と南房総市の市境となっていて、標石があちこちにある。

この市境の尾根を歩く。踏み跡のしっかりした道だ。しばらく行くと、こんもりとしたピークがあって、ここに浅間宮が鎮座していた。銘には「天保十四年 永代村 山荻村 古茂口村」と刻んである。3村合同で富士講をしていたのだろう。富士講は、各地の富士山の見える丘にあり、浅間様を祀る。ふもと3村で信仰も篤かったのだろう。小さな湯のみが供えてあった。

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07年7月6日 73,134
稲村城跡からの眺め

山中激歩連載【第6回】

(6)切り割りから稲村城跡へ

切り割りの北側は、コンクリートの上り坂になっていて、犬のいる民家がある。この前を通って右に畑を見ると、道はそのまま竹やぶの中を行くことになる。

房州に多いメダケのやぶである。密生していて光も届きにくいが、やぶの中にしっかりした踏み跡があって、立派な道になっている。ここも相当、人が歩いているようである。

10分ほどで、元の雑木林の道になる。例の6尺道で、ここも馬でも平気だろう。

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07年7月9日 56,457
三間社流造りの手力雄神社

山中激歩連載【第7回】

(7)稲村城跡から手力雄神社へ

稲村城跡から、古道は北へ伸びるが、九重地区はさらに枝道のように古道があるので、少し遠回りになるが、2日目は真野大黒から宇田方面へ周回するコースを歩いた。

稲村城跡から構造改善が終わった水田地帯を歩く。JR九重駅を過ぎ、県道館山千倉線を歩く。里見家の双子姫伝説から、地名がそうなったという二子の地だ。JR内房線と県道が並行して走る。途中、民家の角を左手に折れ、九重小方面へ。頭部が亜麻色のアマサギが、水田でえさを探している。六地蔵を見て、右に折れ、薗の裏山に位置する場所から登り始める。

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07年7月10日 57,180
「まのでら道」の石柱道標

山中激歩連載【第8回】

(8)手力雄神社から宇田トンネルへ

手力雄神社を後にする。神社を左に出て、民家を右に見て再び山へ入る。真野大黒へ行く舗装道もあり、それを指示する看板もある。「真野大黒800メートル」とも表示されているが、この連載は、古道を歩くことに意味があるので、山道に分け入っていく。

ホトトギスの音が遠くに響く。山道をしばらく行くと、切り割りとなり、ここに立派な石柱の道標がすっくと立つ。正面に「國礼第廿五番 まのでら道」と彫られ、右側面は「まの寺へちか道 明治九年」と読める。紛れもなく、この山道こそが真野大黒への古道である。いまもこの尾根筋の下に自動車の通れる道があり、狭いながらもトンネルがある。ここ最近では旧丸山町が国道128号の加茂から片側1車線の立派なアスファルト道を開通させている。

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07年7月11日 58,353

山中激歩連載【第9回】

(9)宇田トンネルから半導体工場上へ

宇田トンネル上のルートは尾根筋で、歩きやすい。トンネル手前に115・5メートルのピークがあって、ここに「大竹」三等三角点がある。宇田坂分岐から25分で、三角点に到着。

三角点峰には、「村内安全」と刻まれた石宮があるが、そのほかには何もなく、どの村が建立したかも不明だ。宮は宇田方面を向いているので、宇田村の建立だろうか。三角点峰の下には、小さな建物があって、これが神社跡だという。かなり広い面積なので、かつては立派な建物があったことだろう。

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07年7月12日 56,266
大峯山の二等三角点

山中激歩連載【第10回】

(10)加茂神社から大峯山へ

房州縦貫古道行は、ここでいったん国道128号を渡る。地図上でのつながりはなくなるが、車で移動し、南房総市加茂の加茂神社から、半島中部を北に針路をとる。

加茂神社の由来は古い。里見の時代に寄進があって、栄華を誇ることになる。天正年間に勝浦城主、正木大膳が本殿を寄進したとされ、元和4年(1618)に徳川秀忠より御朱印地3石が寄進されたというから、房州の古社である。

神社には八朔祭、三番叟、花踊などが伝承されていることからも、その伝統が理解できるというものだ。

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07年7月13日 57,650
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