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長旅のゴールとなった那古寺観音堂=館山市那古

[第9回]船形から

砂かみ地蔵を過ぎると、右手の山にそった細い道が続く。地元ではこれを木ノ根道と呼ぶ。山を開削してつくられた道である。現在は舗装され、木ノ根は浮かんでいないが、峠は館山・南房総市境となっている。この峠部分の右側岩肌に、岩を穿って記念碑が座る。碑文は「八束村白塚 道路切下工事 金壱百拾圓円 明治四十年十月 生稲吉右衛門」と読める。八束村の生稲氏が明治後半に、110円の大枚を投じてこの道を開削したということだ。こんな小さな峠にも、しっかりした歴史が刻まれている。この大歩行は、発見することも大きいのだ。

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09年10月7日 21,923
忍足佐内の史実を後世に伝える石碑=南房総市富浦町深名

[第8回]深名から

岩先の地蔵を右に見ると、左に特別養護老人ホーム「アイリスの里」が出る。この辺からは記者(忍足)の地元とあって、知り合いによく出会うようになる。リュックを背負った大人が8人。不思議な眺めなのだろう。「保田から那古へ向けて歩いている」と説明すると、驚いた顔で返される。これも地元記者の仕事なのだ。

通称・真瀬口交差点を渡り、左に八束小学校を過ぎる。この先の橋が千部川橋。下の流れは八束小旧校歌に歌われた、清き流れの千部川である。2級河川・岡本川の支流だ。

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09年10月6日 22,486
いよいよ木の根隧道へ=南房総市高崎

[第7回]木ノ根から

高崎のテニスコートの角で休憩。ここには天然の湧き水があって、一般に開放されている。ここで昼食となった。午後零時30分。出発からちょうど4時間、全行程の半分だろうか。

30分ほどで出発。木ノ根峠は、房州を代表する峠道。文人墨客も歩いたし、歴史上の人物も頂上から岩井の眺めを楽しんだ場所である。

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09年10月5日 22,868
立派な社殿の天満神社=南房総市市部

[第6回]飯之坂から

市部瀬踏切を越えた先が、このルートで唯一の未舗装峠となる。民家を左に見て、峠道に分け入る。草が茂るが危険なことはない。峠といっても大げさなアップダウンではなく、すぐに下り坂になる。ここが鋸南・南房総の市町境で、飯之坂という。南側に県道が開通した後は、この道を歩く人は少ない。ようやく鋸南町エリアとお別れし、これからは南房総市である。

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09年10月5日 22,323
ずらりと並ぶ鯨塚=鋸南町竜島飛地

[第5回]鯨塚から

この辺の小字を「板井ヶ谷」といい、この一角を鯨塚という。鯨塚はクジラの墓ではなく供養碑である。1年に1基、碑を立てクジラ漁の大漁を祈念していく。碑は全部で120基ほどあったといい、52基が現存する。これだけで醍醐新兵衛の捕鯨は120年続いていたことの証明である。

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09年10月4日 23,893
住宅街にそびえる恵比寿山=鋸南町勝山

[第4回]内宿から

通りの両脇に民家が連なる。漁師まちらしく、玄関にカニの甲羅を飾った家もある。魔除けの一種で、怖い顔が描かれている。侵入者を許さぬ、まじないである。

内宿青年館の手前左側に小高い岩山がある。これを古幡神社といい、岩山自体を地元では「恵比寿山」と呼んでいる。近くには「大黒山」もあって、恵比寿&大黒で、大変めでたいのである。山のてっぺんに鳥居があるが、きょうは急ぐので登らない。

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09年10月3日 23,994
頼朝が落ち着いたとされる神明神社=鋸南町竜島

[第3回]竜島から

旧左右加宅近くには、竜島の神明神社がある。頼朝は上陸後、この神社に落ち着いたとされる。宅地の中にひっそりとたたずむ社殿を右手に見て、浜へ出る。船揚場の左手に茶色のかわらを載せた八王子神社がある。ここが八王子鼻と呼ばれる場所だ。現在は使われていないが、ここが東海汽船の乗り場で、かつては東京と内房を結ぶ拠点でもあった。

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09年10月3日 22,879
保田川に架かる富士見橋を渡る=鋸南町保田

[第2回]本郷浜から

石碑を後に、本郷浜のコンクリート堤防を歩く。やがて保田川にぶつかり、ここに歩行者専用の橋が架かる。単管パイプを組んだ簡素な橋だが、名前を「富士見橋」という。このあたりから富士山が見えるというネーミングだ。富士三十六景で富士のあらゆる姿を描いた歌川広重も、房州保田の富士を描く。江戸時代から、房州と富士は切っても切れない縁なのだ。

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09年10月2日 21,709
菱川師宣の墓とされる一角=鋸南町保田

文豪・夏目漱石が房州を訪れて今年で120年。鋸南町保田で海水浴をして過ごした漱石は、10日間の保田滞在後、館山の那古寺も訪れたという。保田―那古間は、いまでこそ電車、自動車で小1時間ほどだが、当時の漱石は20`の道程を歩いたのだろう。11月には鋸南町主催で「漱石の道ハイキング」が計画されている。先行してこのルートを歩いた。きょうから短期連載する。(忍足利彦記者)

[第1回]保田駅から

漱石は、東京・霊岸島から汽船で保田へ着いた。明治22年(1889)8月のこと。保田の旅館に仲間と宿泊しながら、22歳の夏を満喫している。この大歩行も保田を出発点としよう。

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09年10月2日 23,003
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