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天守閣を模した久留里城址資料館

[第2回]怒田へ

静寂の桃源郷を行く

展望台から階段を上ると、正面に白亜の城が出る。これが天守閣を模した久留里城址資料館である。

本丸跡は天守閣の左側で、ここに四角形の盛り土がある。考古学的な価値を残し、現代に戦国城を再現したというわけだ。

天守閣を右手に回ると、昭和54年3月に建てられた「久留里城再建記念碑」が建つ。揮毫は当時の知事、川上紀一氏。富浦在住の記者(忍足)は、富浦出身の政治家の筆に、この上総の地で出会ったのである。

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10年4月1日 8,073
枯れススキの海へ向かう一行

[第3回]北向地蔵へ

尾根筋に歴史ある祠

怒田の集落を歩く。農地のあちこちで、草を焼く煙が上がる。純然たる農村には、この煙の筋が良く似合う。朝の桃源郷を歩くと、心が洗われる思いだ。

途中に、左に山へ上がるコンクリート道があり、ここに「北向地蔵 縁日毎月24日」とある。このコンクリを上がれば、北向地蔵へ出るが、川崎さんは「裏街道を行きましょう」という。

砂押地区の農家を右に見て、水田が広がる道を行く。構造改善が終わり、用水も蛇口式である。排水閘門もあるので、暗渠排水が施されているのだ。山紫水明の桃源郷は、農地も十分整備されている。

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10年4月2日 8,002
山頂本丸跡へ登る道

[第1回]久留里城へ

分水嶺とは、ふたつ以上の河川の流れを分ける山脈(広辞苑)。尾根に降った雨は、この嶺によって左右に泣き別れる。本州の中央山地に降った雨は、太平洋と日本海に分かれ、九州北部では東シナ海と瀬戸内海に、そして房総半島では東京湾と太平洋に分かれる。ふるさと・房総半島の背骨を縦横に貫く分水嶺を山のベテランと歩いた。久留里城址から郡界尾根を通り、安房の中央部を南下、布良までの壮大な尾根歩きである。のべ10日間の山行をきょうから連載しよう(歩いた尾根すべてが正確な分水嶺ではありません)。

【忍足利彦記者、(紙面題字は阿部恵泉氏)】

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10年3月31日 7,747
標識のある二ツ山登り口

[第31回]二ツ山へ

夕暮れに包まれ6日目了

冬の午後3時というのは、一般的に下山支度を整え、山とお別れする時刻である。朝9時に入山しているので、すでに6時間は歩いている。市道へ出たのだから、きょうはもう終わりかと思いきや、川崎さんはさらに先を目指すという。驚天動地の提案だが、3日目の金山ダムでの「遭難回避」のことを思えば、不思議でもない。まな板の上のコイの心境である。

白石峠を下って、鴨川市平塚へ。下り坂の途中で右に入るコンクリート道があるので、ここを上がる。杉林を過ぎると、道が開け、正面に鉄塔のあるピークが見える。あれが二ツ山である。まだ遥か先に見える。午後3時を過ぎて、少し不安がよぎるが、「えぇい、ままよ」である。

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10年5月6日 9,015
北向地蔵尊の霊水

[第4回] 横尾番所跡へ

古道に無残な轍の傷

北向地蔵を出ると、アスファルト道の路傍にコンクリートとトタンで囲った水場がある。そばに「北向地蔵尊の霊水」の看板。霊験あらたなる湧き水という。川崎さんが口に含むので、記者(忍足)も真似て一口飲む。ほんのり硫黄の匂いがした。

この林道の坂を下ると、左カーブとなる。カーブの外側に平地があって、ここから再び山道になる。が、ここから先しばらくは、道がとんでもない状態になっていた。

北向地蔵から川越藩の横尾番所を結ぶ歴史ある古道で、砂岩の岩盤の上に築かれた道だ。江戸時代から久留里と清澄を結ぶ重要な街道だったに違いない。現在は国道も県道も有料道路も整備され、久留里から鴨川まではクルマの通る立派な道だが、江戸から明治にかけては、この尾根筋を人が歩いたのだ。地蔵尊もいくつかあって、歴史的価値の高い古道だが、残念な状態になっていた。

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10年4月3日 7,760
横に日が差し込む森を歩く

[第12回]四方木へ

山に落日 2日目終わる

安全のために、郷台林道を南下し、林道小倉松村線の分岐を過ぎる。直進で坂を上ると、間もなく池ノ沢番所跡になる。番所跡を右に見て、この先の張り出し尾根を左に登る。木材でステップが仕込んであるが、すでに土と同化しつつある。

まだ小さい杉の植えられた間を通り、次の尾根へ。ここから先は広葉樹の中を歩く尾根道で、アップダウンはあるものの、徐々に標高を下げていく下り道である。

迷いやすい道だが、先導の川崎さんはしっかと前を見て、揺るぎない。こういうベテランと歩くと、不思議な安心感があるものだ。脚は疲れているものの、気は弛緩している。雄大な尾根歩きなのに、切迫感はないのだ。

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10年4月13日 7,618
巨大な石幢六面地蔵

[第5回]蔵玉へ

歴史ある石像物の連続

この六面地蔵のあるあたりが、川越藩の横尾番所跡である。広く平らになっている場所は、口留番所で、尾根西下の久留里線上総松岡駅のあたりあった藩の陣屋から役人が詰めていたという。このすぐ南側は上総亀山駅である。

清澄への街道であった証拠が、六面地蔵の先にある道標である。

高さ1bほどだが、いまも文字は読める。「坂畑青年會」が「昭和三年八月」の「御大典記念」に建立したものだ。

正面に「怒田久留里←→坂畑」とあり、側面には「蔵玉清澄天津方面←→柳城」と彫られている。

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10年4月5日 7,385
林道が行き止まりになり山道へ

[第6回]石尊山の下へ

市原の最南端部を進む

処分場は大福山南側にある。ここから南に延びる林道があって、毎日相当数のダンプカーが走る。未舗装ながら路面は硬く締まり、歩くのには支障はない。が、時折やって来るダンプカーが砂塵を巻き上げるので閉口する。ダンプカーはハイカーを確認すると、そばを徐行してくれる。こちらも路肩によって通行を妨げない。お互いに気遣うことが大切なのだ。

林道はやがてアスファルトになり、空腹も極致になる。午後1時23分、景色のいい高台でようやく昼食となった。ダンプの切れ間を見て、遥か南にそびえる妙見山(清澄山)を見ながらの握り飯だ。

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10年4月6日 6,853
石尊山の二等三角点

[第7回]黄和田畑へ

初日の終わり 迎える煙

石尊山は山頂に巨大な石尊権現のあることで知られる、房総東部の名峰だ。標高は347・6b。二等三角点(点名は「黄和田」)峰である。

その霊験あらたかな峰までには、まだアップダウンがある。最後のひと踏ん張りと、気合を入れ直す。

岩の下りが一行を待ち受ける。川崎さんがザイルを出し、下りをサポートしてくれる。本日、最大の難所である。

安全に下り終えると、その先が黄和田畑への分岐となる。国道465号への看板も出る。石尊山周辺は看板が良く整備されていて、ここまで来れば迷うこともない。が、朝9時から歩いているのだ。疲労困ぱいである。

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10年4月7日 6,642
東大演習林の入り口から山へ入る

[第8回]札郷へ

雪が歓迎 2日目のスタート

ジグザク尾根を歩く分水嶺の旅も、2日目。

冒頭、断っておくが、この石尊山から四方木までのルートのほとんどが、東京大学大学院農学生命科学研究科附属科学の森教育研究センター・千葉演習林(通称・東大演習林)の中にある。東大演習林は、純然たる教育研究施設であり、一般の立ち入りは許可制になっている。今回は新聞社として正式に立ち入り許可申請をし、特別な許可をもらって歩いた。貴重な植生があり、動植物が生息する森である。2日目の稿(GからKまで)は、その辺を十分考慮のうえ、読み進めていただきたい。

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10年4月8日 6,889
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