企画・エッセイ » 記事概要一覧
地元で天王様と呼ばれる社殿

[第39回] 加茂へ

館山・丸山境で8日目完

三峰山からは、国道128号に向かって徐々に高度を下げていく道になる。時計は午後3時を回っているが、危険なことはあるまい。木々の切れ間から、時折集落が見える。農家の庭先で犬がほえる。人間は気づかないのだろうが、犬にはこの尾根の人の気配がわかるのだ。盛んにほえて、周囲に異常を知らせている。

木々の切れ間に舗装道が見え隠れする。これが県道の遠藤トンネルだ。丸山の白い風車も見える。三芳地区・御庄と丸山地区・前田を結ぶトンネルである。トンネルからしばらく行くと、トタン張りの小さな建物が出る。地元で天王様と呼ばれる社殿だが、いまは参拝する人もいないのだろう。周囲はスダジイに囲まれ、ひっそりとしている。

落ち葉を踏みしめながら歩く。右手の木々の切れ間からは、西日が差し込む。日は長くなったが、冬である。午後4時近くなればさすがに夕刻の気配が漂う。

[ .. 全文表示へ ]

10年5月15日 8,303
ひどい倒竹をくぐって先へ進む

[第38回]三峰山へ

尾根に続く歴史の薫り

天気も回復し、出発。やぶを抜け、コンクリート道に出る。電柱に「宮下」とあるので、旧丸山町エリアである。倒竹のひどい道を竹をくぐりながら歩く。人は歩いているようだが、竹を取り除く人がいないので、実に歩きにくい。

民家を右に見て、道なりに進み、竹やぶを抜けるとそこが房央三郡山(標高216・4b)。四等三角点峰で正式名は「狢坂」。平郡増間村、朝夷郡丸村、安房郡山名村の3郡の境という意だ。由緒正しき郡境だが、現地はひどい竹やぶで、眺望はもちろん、歩く道もないに等しい。

[ .. 全文表示へ ]

10年5月14日 8,110
鹿島山を見ながら長沢集落を下っていく

[第37回]山名金比羅山へ

増間集落抜け絶景の地に

旧三芳村では、村政の最優先課題として、村道、農道、林道の舗装を上げた。第一次産業を振興させるためには、何としてもぬかるまない道路が必要だ。舗装道なくては農業も林業も成り立たない。だから積極的に舗装を進めた。どんな山奥に行っても、舗装道である。

長沢集落で、上空に青空が広がる。予報どおりである。棚田が広がる景色が続き、道は沢山不動へと続くコンクリートになる。いったん左に折れて、沢山不動分岐を右に曲がり、長沢川に架かる長沢橋を渡る。この橋も立派である。

[ .. 全文表示へ ]

10年5月13日 8,529
小川を渡河して崖に取り付く

[第36回] 犬掛から長沢へ

雨模様 8日目スタート

さて、イノシシのように山に分け入って8日目。いよいよ館山に近づいていく。もうゴールは見えると思いきや、まだまだ先は長いのである。いつものように川崎さんが、この日の予定地図を示す。ミミズがのたくったような予定ルートである。「きょうはウルトラロングです」。一瞬、気が遠くなった。

未明からの雨が残り、午前9時でもぽつりと落ちるような天気だが、中止の判断はない。分水嶺歩きは雨に縁がある。

今回の企画は、基本的に分水嶺を一筆書きで歩くことだ。ショートカットもしないし、途中を抜くようなズルもしない。愚直に健気に歩くのだ。

[ .. 全文表示へ ]

10年5月12日 8,102
鹿島山麓の墓石群。ヒバが手向けられている

[第35回]鹿島山から増間へ

ダム下で7日目終える

長沢三角点からは比較的平坦な道が続く。こうして気軽に歩いているが、この三角点を世に知らしめたのも、川崎勝丸さんら山仲間なのである。感謝しながら山道を歩く。

余蔵山の頂が見える場所を過ぎ、30分ほど歩くと、鹿島山への分岐となる。左手にいくつかの墓がある。墓前にはヒバが供えられ、新しい注連縄もある。最近のものだから、この正月に飾られたか。山深い増間の地であるが、この鹿島山は集落よりももっと奥である。墓があるということは、かつては近くに住居があったのだが、現在は更地にマテバシイが生えている。

[ .. 全文表示へ ]

10年5月11日 7,858
立て直した鷹取山の浅間大神の石

[第34回]長沢三角点へ

鷹取ピークで新事実

名物のツバキのトンネル内の階段を下っていく。急な下りなので、慎重に歩を進める。

下った後は、この尾根名物の急な上りである。あえぎながらも、一歩ずつ歩を進める。御殿ピークから20分で鷹取山の広いピークになる。このピークの石宮については、現地の表示が「水分神」となっていて、記者(忍足)も過去に何度かそのことを書いている。尾根の地形からして、こここそが「水」が「分」かつ「神」であると思っていた。

今回、この円錐状の倒れた石宮を直そうということになって、男4人で大きな石を動かしてみた。西側に寝てしまった石を垂直に起こすと、彫られた文字がちゃんと読めるように。そこには「ヤマ水」マークがあり、その下に「浅間大神」と彫ってある。つまりはヤマ水講の浅間大社の碑だったのである。側面には「明治十四年 山田村」の文字。明治に流行したヤマ水講の浅間信仰の対象だったのだ。石はふもとの山田地区に向けて立てられている。山田村の信仰の対象物である。

[ .. 全文表示へ ]

10年5月10日 7,518
鞍骨山のピーク。眺望はない

[第33回] 御殿山へ

鹿島まで 大崩落の爪跡くっきり

県道を東側に少し歩く。川崎勝丸さんが背のザックからナタ鎌を出す。ということは、これから先がやぶこぎなのである。

県道から無理やり山に入る。繁茂した竹が行く手を邪魔するが、一行はなんのそのである。「このルートはそう簡単ではありません」と川崎さん。

竹やぶの中を歩く。倒竹をまたぎ、くぐり、やぶこぎしながらの前進だ。左下の沢から水の落下音が聞こえる。慎重に探せば、この沢にそれなりの滝があるかも知れぬ。そんな期待感も高まるが、きょうはあくまで尾根歩きである。

やがて巨大なタマグスの木と出合う。やぶに囲まれたこの尾根で樹齢何百年という大木が生きているのだ。その精気をもらおうと、木肌に頭をつける。

[ .. 全文表示へ ]

10年5月8日 7,871
東房子嶺のピークはスギ林の中

[第32回]大井峠へ

一望千里に7日目開始

分水嶺歩きも7日目。いよいよ嶺岡山系を離れ、房州の中心部へ突入する。雨模様の連続だったが、晴れ間を突いての山行である。

前回は二ツ山の西側の嶺岡苑で歩行を終えた。7日目はきっちり、この嶺岡苑からだ。

嶺岡苑は山系の北側にある、わが国有数の製缶会社であるヤスダファインテが、公園化した地だ。御殿山からの連山が眺められる絶景地で、アララギ派の歌人で同社の安田稔郎氏の歌碑がある。この東西に伸びる尾根を「嶺岡三郡山」と呼ぶ。旧長狭郡、平郡、朝夷郡の3郡の境であることからだ。

[ .. 全文表示へ ]

10年5月7日 8,333
標識のある二ツ山登り口

[第31回]二ツ山へ

夕暮れに包まれ6日目了

冬の午後3時というのは、一般的に下山支度を整え、山とお別れする時刻である。朝9時に入山しているので、すでに6時間は歩いている。市道へ出たのだから、きょうはもう終わりかと思いきや、川崎さんはさらに先を目指すという。驚天動地の提案だが、3日目の金山ダムでの「遭難回避」のことを思えば、不思議でもない。まな板の上のコイの心境である。

白石峠を下って、鴨川市平塚へ。下り坂の途中で右に入るコンクリート道があるので、ここを上がる。杉林を過ぎると、道が開け、正面に鉄塔のあるピークが見える。あれが二ツ山である。まだ遥か先に見える。午後3時を過ぎて、少し不安がよぎるが、「えぇい、ままよ」である。

[ .. 全文表示へ ]

10年5月6日 9,011
外野の瀑布帯のある三境の入り口

[第30回]白石峠へ

外野の瀑布帯の真上に

三境のピークからは木々の間から津森山が見える。三境を下りて、いったん西側の尾根へ行く。この先に石宮があるからだ。

しばらく歩くと、小高いピークに大きな馬頭観音の石があった。この尾根から人骨山(標高292・6b)へ上がれるというが、今回はルート外なので行かない。馬頭観音でUターンし、尾根を下っていく。

そのまま下りると、今度は「南無地蔵尊」と彫られた天保年間の銘のある石宮がある。南房総市外野方面から富津市山中へ続く古道だったのだろう。現在は平地に道路がつくられ、この尾根を歩く人はいない。が、歩行移動が当たり前だった時代には、この山道を大勢の人が通ったのだ。その証拠がいくつかある石宮群なのである。

[ .. 全文表示へ ]

10年5月6日 8,959
Copyright (C) 2007 Bonichi. All Rights Reserved