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安藤広重「安房國水仙花」

I内田太郎吉

3代目安藤広重(1842―1894)によって描かれた浮世絵「安房國水仙花」は、海を背景に水仙が咲く構図。近景に枝ぶりのいい松が生え、半てんを着た職人風の男がしゃがんで水仙を切っている図だ。

この風景画が、元名の水仙自生地の描写である。現在は鋸南町が「1億本の水仙」を自認する、水仙の一大産地。町は水仙を前面に打ち出して、観光PRを続けている。この水仙がこれほど有名になったのは、ある人物のお陰なのである。

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13年4月6日 8,434
高雅愚伝師の石仏(神作家蔵)

H高雅愚伝師と武田石翁

人物編では、安房の三名工・武田石翁と日本寺中興の祖・高雅愚伝師を取り上げた。それぞれ房州の郷土史を飾る人物で、活躍した年代も一致している。この2人を考察していると、奇妙な一致点が見い出せる。それは生誕の地が本織村(現・南房総市)ということである。

本連載のため2人を調べると、2人の生誕地は直線距離で300bほどであることが分かった。生誕地の一致と関連する事項を、もう少し掘り下げてみたい。

この2人が同じ地区に生まれたことは、あまり知られていない。石翁は、生誕地近くにそれを示す石碑が立ち、三芳地区の人には周知の事実。だが、高雅愚伝師の生家が神作家ということは、郷土史の中でもあまり明確にされなかった。さらにその生家に師の石仏があるのは、長い間、語られなかったことである。

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13年3月30日 8,403
高雅愚伝師の石仏を前に昆住職(左)と神作氏

G高雅愚伝師(下)

承前。高雅愚伝師は南房総市本織出身である。生家の神作家には、高雅愚伝師の石仏が厨子に収まり、大切に保管されている。神作家では代々、大切な先祖像として信仰されているのである。

延命寺の昆尚道住職とともに、本織の神作家を訪ねた。現当主・駿介氏(67)が、新築母屋の仏壇から、厨子ごと出してくれた。

木製の厨子は間口26a、奥行き20a、高さ24a。200年の年月で煤(すす)けているが、室内保管なので状態はいい。観音開きの両扉に筆文字がある。向かって右側に「好風□八十二年」と読める。□は海に見えるが、詳細は不明。左側にも7文字確認できるが、読み取れない。

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13年3月23日 7,781
愚伝師の墓である通天窟内部=日本寺

F高雅愚伝師(上)

日本寺境内を現在のように整備したのは、先代住職の藤井徳禅師だ。広い境内にある階段を古い元名石から御影石に直し、石仏それぞれに看板を立てた。英語表記も併記し、外国人観光客にも分かりやすくしている。いわば「昭和の中興」であろう。

それ以前、日本寺中興の祖といわれるのが、日本寺9世、高雅愚伝(こうがぐでん)師である。享保14年(1729)に生まれ、文化9年(1812)に、84歳で入寂している。

愚伝師は南房総市本織、神作家の生まれ。神作家は延命寺(昆尚道住職)の檀家で、ここで生まれた愚伝は出家し、やがて同じ曹洞宗である日本寺の住職になる。この辺が、中興の祖のキーポイントである。今回は同じ曹洞宗の延命寺、昆住職に話を聞いた。

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13年3月18日 8,325
拝殿での金岡靖幸さん=鋸南

E金岡靖幸さん

鋸山の山頂尾根から南側を眺めると、円弧を描いた元名海岸の南にツルのくちばしのように突き出た、小さな岬がある。これを鶴ヶ崎(つるがさき)という。もう少し南側の亀ヶ崎(かめがさき)と一対になる、鶴亀のめでたい名で、その間には吉浜という地名もある。

今回はこの鶴ヶ崎の根元にある、鶴崎(つるさき)神社の宮司、金岡靖幸さん(60)を取り上げよう。

災害で廃寺となった金剛院(神仏混淆)の16代目。神職だった15代目の父・正質さん(故人)の跡を継ぎ、平成5年に神職になった。鶴?神社の宮司で、鋸南町保田地区の8社も管理する。これら神社の祭礼を中心に、神事を司る。

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13年3月11日 9,197
正岡子規のパネルを手に語る関宏夫さん

D関宏夫さん

鋸山、日本寺に関わる人物で忘れてならないのが、夏目漱石と正岡子規だろう。明治の文豪と近代俳句の祖。この両巨頭を研究するのが、関宏夫さん(73)=いすみ市大原在住=である。

鋸山を仰ぎ見る、保田の駅前通りに生家がある。高校の書道教師となり、外房方面の高校に勤務する。縁あって大原の関家に入る。旧姓は「高濱」である。人物編の第1回(2月3日付)で取り上げた江田晃一さん、山登りでおなじみの川崎勝丸さんは1つ年下で、駅前通りで一緒に遊んだ仲だ。

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13年3月2日 9,086
開山祖の雲嶺禅師の石像(存林寺所蔵)

麓の古刹に残る名工の作

武田石翁(1779―1858)は、安房の各地の神社仏閣にさまざまな作品を残す。石彫なので保存状態も良く、没後150年を経たいまも、立派に鑑賞出来る作品が多い。

石翁も眠る小滝家(屋号・新右ヱ門)の菩提寺である、曹洞宗の名刹、亀福山存林寺(山本良寛住職)を訪ねた。長男の文龍師(34)が案内してくれた。

冒頭断っておくが、同寺は原則として寺宝は非公開。今回は特別に取材許可をいただいた。

石翁の作品は存林寺に5つある。うち1つは小滝家管理、残りは寺の所蔵である。

最も貴重なのは、開山堂に安置されている雲嶺禅師の像だろう。同寺は元々、鋸山西麓にあったが、慶長15年(1610)、現在地に移る。長安寺13世雲嶺本龍禅師を迎えて、寛永元年(1624)に開山している。この開山祖の石仏を石翁が彫ったのである。禅師は慶安4年(1651)に遷化している。

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13年2月23日 8,691
石翁から数えて5代目の小滝新一さん

名工の血を引く花農家

鋸山、日本寺を語る際に欠かせないのは、武田石翁(1779―1858)だろう。日本寺境内の十二神将のうち、完全な姿で残っている「摩虎羅大将」をはじめとした石仏を彫った石工である。後藤義光、武志伊八と並ぶ「安房の三名工」でもある。

石翁は本名・周治。本織村(現・南房総市)宇戸の名主・鎌田四郎左衛門の末子として生まれる。祖先が甲斐武田氏の出身のため、武田を名乗った。寛政3年(1791)、13歳のとき、元名村(現・鋸南町)の石工、小滝勘蔵に弟子入りする。その技術を見込まれて婿養子になり、地元はもとより、あちこちに石彫作品を残す。

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13年2月16日 8,631
「らかん寿し」4代目の宇津木文夫さん

A宇津木文夫さん

JR保田駅前にもうひとつ、老舗店がある。「らかん寿し」の別名を持つ、割烹料理「松月」である。4代目経営者が宇津木文夫さん(59)だ。

松月の創業者は、文夫さんの曾祖母。あまり知られていないが、松月は2代連続で女性が握る女寿司(すし)≠ネのである。文夫さんの祖母が割烹料理店からすし店に衣替え。このころ、乾坤山日本寺の先々代住職から「らかん寿し」の名を頂いた。境内にある千五百羅漢の羅漢である。羅漢とは修行を積んだ高僧のこと。その名からして鋸山、日本寺にちなんだすし店なのだ。

文夫さんは、母の下で修業を積んだすし屋の3代目。26歳のときに店を継ぎ、地魚握りに専念した。冷凍魚、他産地の下り魚、そして養殖魚は一切使わない。握りに付き物のマグロはまず使わない。竹岡、金谷、保田に揚がった魚を契約している鮮魚商から仕入れる。吸い物付きの「季節限定寿司」(2000円)は、カツオ、ワラサ、サヨリ、キンメ、ダルマイカなどの地魚をふんだんに握った逸品である。

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13年2月9日 8,941
写真を手にする江田晃一さん

日本寺で幻のスクープ撮影

これまで「アクセス編」「登山編」「日本寺編」「明鐘編」と連載を続けた。「人物編」では、鋸山に関連する人物をクローズアップしよう。掲載は順不同。

JR保田駅前で昭和6年(1931)から続く写真館を経営するのが、江田晃一さん(70)。現在は少々寂しくなってしまった保田駅前商店街だが、江田写真館は、戦前から続く数少ない店である。

写真館は江田さんの父・晃陽さんが始めた。写真が庶民の手に届くようになったものの、まだまだ専門的な知識・技術が必要だった時代のことだ。太平洋戦争で鋸山一帯は要塞地帯になったため、被写体も限られた。晃陽さんはスタジオ撮影で、その手腕を発揮した。

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13年2月2日 11,228
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