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マンモスの顔のようにも見える餅石

難所抜けて金谷側へ

承前。亀裂を川崎勝丸さんが先に越える。越えた先が垂直に切り立った崖。川崎さんは三点確保でこの崖を登り、念のため記者(忍足)にザイルを投げてくれる。

このザイルを頼りに、亀裂を越え、崖に張り付く。このとき、大きなうねりが入って、亀裂に海水が寄せた。するとどうだ。ザッブーンという音とともに、割れ目から潮が噴いた。これが潮噴きの地名の元であった。

国道127号には潮噴トンネルがあるが、それはここの真上である。山崎源治さんが言っていた潮噴きの難所とは、ここであった。

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13年1月26日 8,200
高雅愚伝師の石仏を前に昆住職(左)と神作氏

G高雅愚伝師(下)

承前。高雅愚伝師は南房総市本織出身である。生家の神作家には、高雅愚伝師の石仏が厨子に収まり、大切に保管されている。神作家では代々、大切な先祖像として信仰されているのである。

延命寺の昆尚道住職とともに、本織の神作家を訪ねた。現当主・駿介氏(67)が、新築母屋の仏壇から、厨子ごと出してくれた。

木製の厨子は間口26a、奥行き20a、高さ24a。200年の年月で煤(すす)けているが、室内保管なので状態はいい。観音開きの両扉に筆文字がある。向かって右側に「好風□八十二年」と読める。□は海に見えるが、詳細は不明。左側にも7文字確認できるが、読み取れない。

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13年3月23日 8,394
愚伝禅師の墓でもある通天窟

脚に負担のかからぬ平場

高低差のある日本寺境内は、海抜数bから300bまで、概ね5段の層から形成されている。今回は鋸山登山自動車道の大仏口からそのまま水平方向に歩くルート。脚が痛い、高低差が苦手という人は、大仏口から歩いて、大仏広場までを往復するといい。

今回は脚に負担のかからないルートだ。

境内に数ある石造物の中で、気圧される感覚が生じるのが、この通天窟であろう。百尺観音の高さ、瑠璃光如来の大きさ、いずれも見るものを圧する感があるが、この三間四面の通天窟は少し違う。古めかしさが歴史と伝統を示すからだろう。

現在は曹洞宗となった、日本寺の開山堂。石窟の中には、中興の祖・愚伝禅師、永平寺開山の道元禅師、総持寺開山、瑩山禅師の両開山像を安置している。

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12年10月20日 8,575
半ば埋もれている墓石群

A旧日本寺域

鋸山南麓にある日本寺だが、かつては現在地ではなく、もう少し広い寺域だったという。山を下がった元名の高台もかつての寺域だったが、元禄の地震で壊滅状態になり、現在地に集約されたという説が有力だ。寺側に確認しても否定はされない。現在地は奥の院で、それほど広大な寺域だったということだろう。

では、かつての寺域はどこだったか。地元の山歩きのベテラン、川崎勝丸さんの案内で、元名の通称・寺畑付近を歩いた。

現日本寺表参道から、JRガードをくぐり、水仙橋を右折。左右に住宅を見て、左に折れると、やがて傾斜のある別荘地のような場所に出る。分譲はされたが、まだ数区画が更地の状態である。この傾斜地の高台がその場所であった。

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12年12月8日 8,622
元名の砂浜に埋まる黄金石=鋸南町元名

黄金5000貫を運んだ石船?

明鐘岬は、安房と上総を分ける郡界尾根の西端、急峻な尾根が東京湾に落ちる部分である。国を分ける著名な岬とあって、昔からさまざまな伝説も残る。明鐘編は、この岬に関する事象と、登山編、日本寺編で扱わなかった部分を取り上げよう。

黄金石は、国道127号元名第2トンネルの南側の直下の砂浜にある。砂の中に埋まった石だが、これが岩盤なのか、単独の石なのかは、いまだに不明である。ただ黄金石と言い伝えられた話もあるから、ここは石であることを前提に話を進める。

ではその話から。

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12年12月3日 8,788
広重の「富士三十六景 房州保田海岸」

E浮世絵の明鐘を再現

関東の親不知、明鐘岬は古くからの交通難所で、江戸時代の浮世絵にも描かれている。有名なのは歌川(安藤)広重の「富士三十六景 房州保田海岸」。もうひとつは同じ広重の「房総の名所 房州保田の海岸」。同じ保田海岸を描いているが、構図が異なる。

前者は縦長の浮世絵、後者はうちわ絵である。

広重は房総へ二度、訪れている。最初は天保15年(1844)、江戸から船で木更津に着き、鹿野山を参拝。48歳のときだ。二度目は、嘉永5年(1852)の冬。おなじく江戸から木更津に着き、鹿野山を通って外房に出て、誕生寺、清澄山を参拝し、内房へ回って、那古観音から勝山・保田へ抜け、鋸山に参拝している。これは56歳のとき。

保田から見る富士山に感動し、この2つの絵を描いているのだ。

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13年1月12日 8,954
高雅愚伝師の石仏(神作家蔵)

H高雅愚伝師と武田石翁

人物編では、安房の三名工・武田石翁と日本寺中興の祖・高雅愚伝師を取り上げた。それぞれ房州の郷土史を飾る人物で、活躍した年代も一致している。この2人を考察していると、奇妙な一致点が見い出せる。それは生誕の地が本織村(現・南房総市)ということである。

本連載のため2人を調べると、2人の生誕地は直線距離で300bほどであることが分かった。生誕地の一致と関連する事項を、もう少し掘り下げてみたい。

この2人が同じ地区に生まれたことは、あまり知られていない。石翁は、生誕地近くにそれを示す石碑が立ち、三芳地区の人には周知の事実。だが、高雅愚伝師の生家が神作家ということは、郷土史の中でもあまり明確にされなかった。さらにその生家に師の石仏があるのは、長い間、語られなかったことである。

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13年3月30日 9,015
愚伝師の墓である通天窟内部=日本寺

F高雅愚伝師(上)

日本寺境内を現在のように整備したのは、先代住職の藤井徳禅師だ。広い境内にある階段を古い元名石から御影石に直し、石仏それぞれに看板を立てた。英語表記も併記し、外国人観光客にも分かりやすくしている。いわば「昭和の中興」であろう。

それ以前、日本寺中興の祖といわれるのが、日本寺9世、高雅愚伝(こうがぐでん)師である。享保14年(1729)に生まれ、文化9年(1812)に、84歳で入寂している。

愚伝師は南房総市本織、神作家の生まれ。神作家は延命寺(昆尚道住職)の檀家で、ここで生まれた愚伝は出家し、やがて同じ曹洞宗である日本寺の住職になる。この辺が、中興の祖のキーポイントである。今回は同じ曹洞宗の延命寺、昆住職に話を聞いた。

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13年3月18日 9,018
安藤広重「安房國水仙花」

I内田太郎吉

3代目安藤広重(1842―1894)によって描かれた浮世絵「安房國水仙花」は、海を背景に水仙が咲く構図。近景に枝ぶりのいい松が生え、半てんを着た職人風の男がしゃがんで水仙を切っている図だ。

この風景画が、元名の水仙自生地の描写である。現在は鋸南町が「1億本の水仙」を自認する、水仙の一大産地。町は水仙を前面に打ち出して、観光PRを続けている。この水仙がこれほど有名になったのは、ある人物のお陰なのである。

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13年4月6日 9,039
そそり立つ不動岩

C不動山と金谷城跡

国道127号の明鐘トンネルを鋸南町から富津市に抜けると、左の海側にそそり立つのが不動山(岩)。国道を挟んでその真上にあるのが、金谷城跡である。

徳川光圀の『甲寅紀行』(延宝2年=1674)は、この岩と城跡を次のように表現している。

「此処に不動山あり。不動山の上に古城あり」

光圀は元名側から徒歩で明鐘岬を越え、この不動山に出合うのである。

不動山は国道の覆道(ロックシェード)の道下にある。かつてはここにドライブインがあり、その下には造船所があった。現在はいずれも撤去され、更地である。

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12年12月22日 9,077
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