
山中激歩連載【第24回・最終回】
(24)おわりに
房総半島の最南端・白浜城跡から房総の屋根・郡界尾根まで、半島ほぼ中央の尾根筋を北上する旅。さすがに1日では無理なので、のべ6日間かけての山中激歩だった。
房州低名山の連載を終え、房州温名湯の掲載に入ったころ、わが山の師・川崎勝丸さんから「忍足さん、温泉ばっかり浸っていると、ふやけちゃうよ」と連絡があった。その川崎さんの口から「房州を縦断する立派な古道がある」と聞かされたとき、少し心がざわめいた。山は終わって、いまは温泉なのだ。そう思ったが、低名山への思いも、後ろ髪を引かれるように残っていた。
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山中激歩連載 【第23回】
(23) 滝から三浦三郎山へ
市井原から瀬高集落へ向かう。東は清澄山、西は鋸山に連なる郡界尾根へ向かう上りである。当然、ルート全体が急勾配の連続となる。郡界は、昔でいえば国境である。古道に峠があって、ここで国への出入りを管理する。そういう場所なのである。
民家を左に見て、小さな流れ沿いに左に折れる。ここからは、ほぼ北に伸びるコンクリート道である。
途中、鋸南町営水道の加圧所がある。これだけの標高差を克服して上水を高みに送る。いくつもの加圧ポンプが必要なのだ。それだけ標高差があるということである。
勾配のきついコンクリ道をじっと耐えながら、登る。汗が噴き出る。昔の人はどんな思いでこの道をたどったのだろうか。
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山中激歩連載【第22回】
(22)ジェノバから滝へ
ジェノバはちょうど峠に位置し、ここから北へ向かう道は、長い下りである。長狭街道からこの店を目指すときは、長い上りだ。
アスファルトの下り坂を下りる。そのまま道なりに下ると、左への分岐がある。ここを登ると、右手に豚舎があり、さらに登ると何軒かの民家が出る。民家を過ぎて右に折れてさらに下ると、八幡神社となる。
奥の拝殿に飾り窓のような彫り物がある。本殿も大きなつくりで、境内には巨大な杉の木があって、注連縄が巻かれている。その奥には富士講の石碑もある。管理もしっかりされている立派な神社である。
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山中激歩連載【第21回】
(21)大崩からジェノバへ
ここまでのべ5日間歩いた、山中激歩もいよいよ最終日。鋸南町大崩から郡界尾根を越えて、三浦一族の三郎光村の館があったという三浦三郎山(標高281メートル)までを歩く。いまでも鎌倉街道の要素が色濃く残るルートである。
大崩公民館から町道を東に向かう。町営バスの車庫を過ぎ、民家2軒を過ぎた防火水槽の角を右に登る。コンクリートのしっかりした道だ。
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山中激歩連載【第20回】
(20)中央林道合流から大崩へ
嶺岡山系の尾根を東西に走る中央林道。草も伸びていないし、車も来ないので、鳥のさえずりも大きく聞こえ、快適な道である。木漏れ日の下を歩けば、暑さも感じない。
その平坦な道を東へ向かう。しばらく行くと、路傍に山の神があるという。林道より高い小さなピークがあって、ここをよじ登る。南に向けて平坦部があって、ここに2つの石宮があった。いまでは誰も参拝しないのであろう。その存在すらも忘れられている。南側にはつづら折れの山道があって、南側の集落につづいているのかもしれない。
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山中激歩連載【第19回】
(19)川上駅から中央林道合流へ
通称・二部街道を渡る。不寝見川からのルートは、時折、大きな道路を横断しなければならない。古道は房総半島南部を南北に縦断するが、現在の自動車道路には、半島横断道路がいくつかある。現代人の生活に欠かせない道路は、こうして古道を部分的に切り裂く。
県道をいったん西へ歩き、すぐに分岐となる。目印は川上青年館。青年館の角を右に入る。コンクリート道を登るが、少しきつい上りである。県道は谷筋に東西に横断する。古道は尾根筋に南北に縦断する。したがって県道をまたぐときは、下って上らなくてはならないのだ。
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山中激歩連載【第18回】
(18)正壽院から川上駅へ
正壽院を後にして、コンクリート農道へ出る。正面に御殿山と鷹取山が座り、御殿の左には遠く曽呂富士と呼ばれる高鶴山が見える。寺の道から左へ直角に道が折れる。鎌倉街道であるが、この曲がり方が直角なため、このあたりの小字を真門というらしい。
コンクリート道の両側にはクマザサが生い茂る。道は緩い下りになるが、正面に富山と津辺野山の丸いピークが座る。その2つのピークの間に、冠雪の霊峰・富士山が見える。こんな眺めの場所は珍しいだろう。当時、この鎌倉街道を通った人は、どんな思いでこの芙蓉の峰の眺めを楽しんだのだろうか。
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山中激歩連載【第17回】
(17)不寝見川から正壽院へ
不寝見川の交差点から、尾根筋を北に伸びる古道は、鎌倉街道とも頼朝道とも呼ばれる。武家政治が敷かれ、安房の地にも国府が置かれる。その国府と幕府を結ぶ道が鎌倉街道である。中央政府から送られる地方官吏が通った官道であろう。地元の人はいまでも鎌倉街道と呼ぶ。
不寝見川交差点のすぐ東側にはこんもりとした宮田山がある。ここも番所関連の遺構があるといい、周囲は歴史の薫りが漂う。
吉井へ抜ける自動車も走る道路の角を山に入る。浅いやぶを分け入ると、すぐに馬頭観音が現れる。馬頭観音は馬が倒れた場所に建立される観音で、当時は馬は貴重な移動手段であるから、馬が死ぬことはかなりの損失である。当時の篤い信仰を伝えるのが、路傍の馬頭観音だろう。
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山中激歩連載【第16回】
(16)花火工場跡から大塚へ
花火工場跡を右にみて、林道を行くと林道合流地点となる。左を登れば余蔵山経由の大塚集落、右へ下れば、大沢の集落になる。
左の上りが、林道石塚道だ。石塚線を歩くと5分ほどで、余蔵山への分岐になる。急坂のため、路面に凹加工がある。車の滑り止めである。
急傾斜のコンクリート道を登る。ここは旧KDDの電波塔があった場所で、このコンクリート道路もその電波塔への道である。塔建設は昭和の話。当然ながら、古道ではないが、素晴らしい眺めの余蔵山へ立ち寄らぬ手はないので、ここはコンクリート道を歩く。
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山中激歩連載【第15回】
(15)鹿島山から花火工場跡へ
鹿島山から北側へ尾根筋を行く。大汗をかいたピークへの上りとは打って変わり、ここからは平坦な尾根道がつづく。時折、例の6尺道の様相も呈しているから、ここも立派な古道であろう。
杉林の中には、イノシシが体をこするヌタ場があって、足跡も生々しい。頻繁に出没しているのだろう。野獣の雰囲気をかぎつつ、北へ。やぶをこぐような場所もあるが、誰かが歩いていて、概ね歩きやすい。この尾根ルートは、国土調査が入っていて、あちこちに調査杭が打たれている。それで踏み跡があるのだろう。
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