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写真を手にする江田晃一さん

日本寺で幻のスクープ撮影

これまで「アクセス編」「登山編」「日本寺編」「明鐘編」と連載を続けた。「人物編」では、鋸山に関連する人物をクローズアップしよう。掲載は順不同。

JR保田駅前で昭和6年(1931)から続く写真館を経営するのが、江田晃一さん(70)。現在は少々寂しくなってしまった保田駅前商店街だが、江田写真館は、戦前から続く数少ない店である。

写真館は江田さんの父・晃陽さんが始めた。写真が庶民の手に届くようになったものの、まだまだ専門的な知識・技術が必要だった時代のことだ。太平洋戦争で鋸山一帯は要塞地帯になったため、被写体も限られた。晃陽さんはスタジオ撮影で、その手腕を発揮した。

晃一さんは、昭和17年(1942)生まれ。東京写真大学(現・東京工芸大学)で写真技術を学び、ホテルオークラ内の婚礼写真専門スタジオに勤務する。ここでスタジオ撮影の技術を身につけ、昭和45年(1970)に父の店舗を継いだ。「街の写真館」の王道を歩んだわけだ。

昭和30、40年代は、房州の海水浴が華やかなりしころ。国鉄の列車が保田駅に到着するたび、ものすごい数の避暑客が降りてくる。駅前通りはごった返し、保田の海岸はイモを洗うようだった。

いまでは信じられない話だが、海水浴場には浜の売店のほかに、写真館の出張所があった。現在でいえば貸しボートの小屋のような感じか。「寫真」と大きな看板を出し、海水浴客を撮影する。江田写真館のほかにも、複数の業者がいて、海浜撮影に応じていた。

「保田は別荘も多くて、そうした裕福な家庭の子どもたちが訪れる。海で泳ぐ母子を撮影し、写真を東京の父に郵送する。そんな仕事が多かった」と、江田さんは述懐する。政治家の小沢一郎氏が旧制中学生時代、臨海学校に訪れた記録もあるという。

地元で多彩な撮影活動を続ける江田さんのライフワークのひとつに、皇族の撮影がある。

幻のスクープ。左端が紀子さん、2人目が文仁殿下(江田さん撮影)

聖武天皇の勅詔を受けて開山された日本寺には、過去に何度か皇族が訪れている。江田さんがいまも思い出の一枚と語る写真が、秋篠宮文仁殿下が婚約前の川嶋紀子さんと訪れた際のスナップである。

昭和62年ごろ、ふたりは学習院大学のご学友のグループとして、日本寺を参拝した。鋸山ロープウエーで山頂駅に上がり、日本寺に入る。ふたりの親密さに感づいていたマスコミ各社はこの予定をかぎつけ、ロープウエーの山麓駅に集まる。が、宮内庁はこれをプライベートな旅行とし、マスコミは山麓駅でシャットアウトされるのである。

江田さんが本領を発揮するのは、日本寺境内で、だ。寺側の依頼もあって、記念写真を撮りに鋸南側から境内に入る。頼朝大蘇鉄前で待ち構えていた江田さんは、6人ほどの集団に遭遇する。文仁殿下と紀子さんは、集団の中にあって、つかず離れずいた。それとなく撮影していると、警護担当者がストップをかけた。

日本寺から撮影を頼まれたのだと、食い下がる江田さん。最終的に呑海楼前での記念撮影をして、仕事を終える。

ツーショットのスナップもあったが警護側が「くれぐれも世に出さないように」と釘を刺した。江田さんは写真をスタジオ奥に仕舞いこむ。こうしてスクープ写真は、日の目を見なかった。おふたりの婚約が発表されたのは、そのずっと後、平成元年8月のことである。

「でも、おふたりを撮っただけで満足した」と江田さん。街の写真館の経営者である。世紀のスクープを出す立場にもない。鋸山の眼下、保田駅前で写真を商ってきた温厚な人柄がにじみ出るようなコメントだ。

皇族を撮影する熱意はその後も失せない。平成22年(2010)9月の千葉国体の際、房総半島にお召し列車が運行され、天皇皇后両陛下を乗せ、内房線を走った。江田さんは鴨川街道踏切近くのカーブに三脚を据え、お召し列車の到着を待った。カーブする車窓に陛下の姿。わずか一瞬のシャッターチャンスをものにした江田さん。そこには、プロのスタジオカメラマンの姿があった。

【写真説明タテ3段 】写真を手にする江田晃一さん=鋸南町保田

【写真説明ヨコ2段 】幻のスクープ。左端が紀子さん、2人目が文仁殿下(江田さん撮影)

13年2月2日 11,829
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