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愚伝師の墓である通天窟内部=日本寺

F高雅愚伝師(上)

日本寺境内を現在のように整備したのは、先代住職の藤井徳禅師だ。広い境内にある階段を古い元名石から御影石に直し、石仏それぞれに看板を立てた。英語表記も併記し、外国人観光客にも分かりやすくしている。いわば「昭和の中興」であろう。

それ以前、日本寺中興の祖といわれるのが、日本寺9世、高雅愚伝(こうがぐでん)師である。享保14年(1729)に生まれ、文化9年(1812)に、84歳で入寂している。

愚伝師は南房総市本織、神作家の生まれ。神作家は延命寺(昆尚道住職)の檀家で、ここで生まれた愚伝は出家し、やがて同じ曹洞宗である日本寺の住職になる。この辺が、中興の祖のキーポイントである。今回は同じ曹洞宗の延命寺、昆住職に話を聞いた。

「不許葷酒入山門」の石柱前で昆尚道住職=南房総市本織

日本寺は何度か宗派が変わり、現在は曹洞宗。その曹洞宗での開山の祖が、北州門渚師である。愚伝師は日本寺の9世として50年以上も住山し、千五百羅漢の造営、堂宇の整備などに尽くした。関東一円に三百万人羅漢講を設立し、日本寺の名を広く浸透させた。戦国の世が終わり、荒廃していた山を愚伝師が興隆させたのである。

延命寺の檀家に生まれ、長じて慈恩院(館山市上真倉)の住職となる。その後、日本寺へ上がり、9世となるのである。

延命寺参道には、愚伝師が寄贈した「不許葷酒入山門」の石柱がある。禅宗の教えである、酒とニラのような精のつく食べ物は入山できないという意である。

日本寺復興をなしえた愚伝師が、出身地である本織の延命寺に感謝の意を込めたのだろう。石碑の裏面には文字が刻まれているが、風化して読みにくい。専門家の調査を待ちたいものだ。

日本寺境内にある愚伝師の墓、通天窟は、10世東永撮伝師が、愚伝師の墓として造営したものだ。この石室内にも「延命寺」の表記があり、両寺のつながりを物語っている。

昆住職は「いまでいえば、敏腕プロデューサーで、名プロモーターといったところ。その才覚は素晴らしく、洞門の発展に尽くした」と語る。

その昆住職の案内で、神作家にも足を運んだ。

(この稿つづく)

【写真説明】愚伝師の墓である通天窟内部=日本寺

【写真説明】「不許葷酒入山門」の石柱前で昆尚道住職=南房総市本織

13年3月18日 8,834
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