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路傍にたたずむ総勢100体の地蔵様

【第12回 6時間半歩いて2日目了】

(12)中沼から引越へ

八丁山の下山は、北側へ。大きな尾根を下るとすぐに古道然となる。房州古道の6尺道のようで非常に歩きやすい。地図では破線となっており、こちらは正確な表記である。

川崎さんは「ここから先は下る一方」と太鼓判を押す。土道をだらだらと下っていく。八丁山ピークから15分で、ミカン畑が出る。温州ミカンだがまだ青かった。ミカン畑の下には1軒の民家があるが、すでに住人はいない。この山深さだ、離農したか。

しばらくいくと、墓地がある。何軒かの共同墓地なのだろう。新しい塔婆もあるので、墓参の人が訪れている。最近までは集落が成立していたのだ。

6時間半歩いて出た富津・鴨川市境

道を下ると、白いガードレールが出た。「林道豊岡線」の標識もある。下はコンクリート。2車線はある立派な林道で、この道を下る。川崎さんの言のとおり、下るばかりである。

小さな峠があって、ここを越える。この峠が富津市と鴨川市の境。越えた先が引越の集落だ。左に民家を見て、坂を下る。右手には農地が広がる。この道沿いに小さなお堂があって、この前に世にも珍しい「百体地蔵」がある。ひとつの長方体の石柱の正面に2階建てで六地蔵が浮き彫りしてあり、両側面に2体ずつで計10体。この石柱が10個あるので、地蔵様は総勢100体となるのである。銘を読むと「文政元年十月吉日 五味藤五郎」とある。1818年に五味という人が、100体もの地蔵を寄進したということだろう。ずらりと並ぶ地蔵は壮観でもあるが、花活けなどはなく、線香が灯された跡もない。百地蔵が、苔むしてこの道の傍にたたずむ。

コンクリートの道を行くと、最後は上りになる。登った先に、いまは使われていない集乳所の建物がある。この道が県道富津館山線で、そばには「引越」のバス停もある。県道に出て、左側を歩く。すぐ先が富津市と鴨川市の境で、県道標識がある。この先は富津市豊岡である。

路肩の広場にとめてあった車へ到着。ここまで郡界尾根を歩いて6時間30分。道なき道、尾根道、岩尾根、林道、コンクリート道、県道と道の形態はさまざまだが、出会った人は、下貫沢での吉原老人のみ。畑で作業する農家も見なかったし、民家も少なかった。

6時間半歩いて、1人しか会わず。恐るべし郡界尾根、である。

(つづく)

【写真説明】路傍にたたずむ総勢100体の地蔵様

【写真説明】6時間半歩いて出た富津・鴨川市境

08年1月17日 19,288
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