企画・エッセイ » 記事詳細
自宅のアトリエで鈴木武助さん=鋸南

29鈴木武助さん

「房総病」にかかった移住者がもうひとり、鋸山南麓にいる。都内で建築設計事務所を開き、関東一円のホテル、旅館、マンションなどの設計を手がけた、鈴木武助さん(77)だ。

東京生まれの東京育ち。両親も東京で「田舎がない」(鈴木さん)状態。好きだった魚釣りの拠点にしようと、県内の中古住宅物件を探す。10年前のことだ。すでに設計の第一線からは退いていた。鴨川方面から内房方面へと家探しの旅をしたことも。

たまたま、都内の書店で立ち読みした田舎暮らしの雑誌に、元名の中古住宅物件が載っていた。海が近く、鋸山もある。温泉もかつては近くにあった。好きな釣りができて、楽しみな山歩きも可能。温泉はすでにないらしいが、条件は合致した。

保田の不動産屋と一緒に、現地を見る。即断即決だった。元は別荘の物件だ。私道負担のある「延長敷地」を含めて150坪ほど。多くの人が見に来たが、この私道負担が嫌われた。鈴木さんは違った。「これなら周囲に人が立ち寄らない。騒いでも迷惑がかからない。即決した理由だった。

家は古かったので、かなり手を入れた。「これ以上直すと、新築したほうがいい」とまで業者に言われた。それまで住んでいた都内のマンションは息子に譲り、妻とふたりで移住しようとした矢先、妻が先立ってしまった。単身、元名へ移住したが、気がかりは毛ほどもなかった。

鋸山南麓暮らしの自宅=同

元々、土が好きで自然が大好き。東京から大賀ハスの種を持ち込み、庭の池に植えた。「都内のマンションでは土1升すらない。すべてがコンクリート。ハスには稲わらが肥料になるが、わらも手に入らない」。そんな状況が一変した。土はいじり放題、わらはすぐに手に入る。魚は新鮮で、コメはうまい。鋸山南麓の暮らしは、単身でも夢のように楽しかった。

現役時代は、建築設計の個人事務所を経営。関東各地の住宅、ホテル、マンションなどの設計を手がけた。ユニークなデザインの筑波山荘ユースホステル(茨城県)、独特なデザインで有名な原宿のマンション「ビラビアンカ」(東京都)などが代表格だが、千葉県内の物件も多い。小湊地区の旅館などもいくつか手がけている。

現在の建築設計は、コンピューターを使ったCADが主流だが、鈴木さんは製図版にT定規というアナログ派最後の世代だ。パースやスケッチなどもすいすいこなす。アナログ派の面目躍如である。

それもそのはず。日大芸術学部卒なのだ。絵描きになりたかったが、立体が好きで建築設計の道に入った。自宅では絵筆を握り、頼まれればデザイン画も描く。

念願の元名の家に移住後、すぐに鋸山に登った。「概ねの登山道は歩いた。楽しくて登りやすい山だね」。

地元での付き合いはいとわない。組長も経験したし、いまは地元老人会「元名睦会」の会長も務める。元名花街道(人物編27参照)のメンバーでもある。

「結果的に単身での移住になったけど、自由にやってます」。南麓暮らしは何の問題もないという。

【写真説明】自宅のアトリエで鈴木武助さん=鋸南

【写真説明】鋸山南麓暮らしの自宅=同

13年9月9日 37,400
Copyright (C) 2007 Bonichi. All Rights Reserved