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市坂道の勝浦側の石仏群

【第31回】禅僧の墓へ

小湊と結ぶ歴史の古道

岩高山のピークで、元名の水を少しこぼす。遥かなる距離をザックに忍ばせてきた海水である。山頂で「川崎勝丸と尾根歩き隊」8人で記念撮影をする。日蓮寺の山号と同じなので、寺と混同する人も多いが、岩高山は素晴らしい三角点峰である。ハイキング道でなく、標識もまったくないのでベテラン向けだが、人の手が加われば、楽しいハイキングコースになることだろう。

小休止後、スタート。

フェンスお別れピークまで尾根を戻り、ここから再びフェンス沿いにやや歩く。支尾根を歩き、市境を越える。雑木林の中を歩いて15分。眼下にトタン張りの水田が見える。この水田めがけ、急な坂を下りていく。

下りた先が、アスファルト道。東電の「台宿164」電柱の前である。この電柱を右に行くと、右手に馬頭観音、牛頭観音、大日如来などの石仏群がある。やはり、古い街道筋なのである。

アスファルト道を北に進路を取る。あちこちの畑にフェンスやトタンが張り巡らされている。有害獣の被害が深刻なのだ。

歩を進めると、小さな集落になる。入母屋造の立派な民家が出て、農作業をしていた男性と立ち話になる。この辺は山里だが、どの家にも漁業権があるという。浜行川あたりの磯で漁をしているらしく、かつては興津や浜行川で獲れた魚介類を市坂道を通って、小湊に運んでいた歴史がある。日蓮で栄えた門前町のにぎわいに、魚介類は不可欠だったのだろう。古道に人が往来し、物資が動いたのである。

延享四年の文字がある路傍に倒れた墓石

アスファルト道を歩くと、左手に防火用水がある。これを目印に、右に折れる。コンクリートや土の道が連続し、やがてコンクリート林道になる。少しきつい上りを歩くと、やがて杉林のフラットな道に。竹が繁茂している丁字部分の分岐を右にとって、山道を進む。

比較的平坦な道で、時折、北側に風力発電の風車が見える。

しばらく歩くと、路傍に倒れた墓石がある。「皈元宗禅定門霊 延享四年」の文字。1747年にこの山道で倒れた禅僧の墓石であろうか。やはりこの尾根は街道筋なのだ。

墓に頭を垂れ、さらに進む。

(つづく)

【写真説明】市坂道の勝浦側の石仏群

【写真説明】延享四年の文字がある路傍に倒れた墓石

08年2月9日 44,681
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