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妙覚寺境内の市指定文化財の繋船柱

【第32回】興津港へ

白砂の美浜にゴール

禅僧の墓を過ぎ、2万5000分の1地図の92bピークで昼食。7日間の大トレッキングの旅の最後の食事だ。「尾根歩き隊」の8人で弁当を広げる。ここまで歩いた道程、あちこちの山の話などで、気の置けない山仲間の楽しい昼食となった。

大休止後、出発。いよいよゴールの興津港へ向かうことになる。元名の水を太平洋にこぼしにいくのだ。

七曲の下りを降りる。やがて沢筋になり、ゴロタ石が転がり、非常に歩きにくい。涸れ沢なので水はないが、雨上がりなら、さぞ辛いことだろう。

15分ほど下ると、国道128号バイパスに出る。細尾トンネルの北側だ。すぐに「ミレーニア勝浦入口」の信号交差点がある。ここを左に入れば、ミレーニアの別荘地。地図では興津久保山台という名称である。

信号の先を右手に折れる。小さな農地を過ぎると、そこが興津小学校。左に小学校を見て歩く。JR外房線18興津ガードをくぐり、国道の旧道に出る。ここを北に進むと、歴史ある妙覚寺が大きな姿を見せる。

妙覚寺は壮大だ。山門の先にJR踏切があり、その先は立派な仁王門。本堂は巨大で、鐘楼もあり、庫裏もかなりの規模だ。目を引くのは市指定文化財の「繋船柱」である。興津は天然の良港で、江戸時代から海運の拠点だった。東北諸藩と江戸を結ぶ巨大な廻船をもやった柱が、この石柱である。港湾整備で海岸にいくつもあった柱がここに移設されたものだ。石材は東北産。歴史を感じさせる。妙覚寺には仙台藩の陣屋が置かれたほどで、寺も入港の手数料を取ったというから、さぞ栄華を誇ったことだろう。

妙覚寺をあとにし、海を目指す。仙台藩が常駐したという、天然の良港が見たいものだ。

元名の海水を波打ち際に放つ

10分ほど歩くと、潮の香が鼻をつく。潮騒が聞こえてくると、目の前にコンクリート防波堤が。この階段を登ると、そこに白砂の美浜が広がっていた。先頭を歩く川崎勝丸さんが両手でバンザイする。7日間の大トレッキングの旅がフィナーレを迎えたのだ。

沖縄の海を思わせるような白い砂浜が広がる。南の椎島と、北の天道岬に囲まれた美しい湾である。水深がかなりあって、大型の船でも入港できたため、江戸時代には、江戸往還の廻船が出入りしたのだ。

沖合いの波も湾内には届かず、さざなみひとつ立っていない。穏やかな冬晴れで、身も心も、あの大尾根のように「気高く美しく」なっていく。

川崎さんに促されて、ザックの水を出した。元名の東京湾で汲んだ海水だ。これを白い波打ち際に放つ。7日間の尾根歩きの長旅が終わった。

(つづく)

【写真説明】妙覚寺境内の市指定文化財の繋船柱

【写真説明】元名の海水を波打ち際に放つ

08年2月10日 43,378
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