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各選手の苦悩を理解しよう

北京五輪代表選考会を兼ねた名古屋国際女子マラソンが2008年3月9日、名古屋市瑞穂公園陸上競技場発着の42・195`で行われ、初マラソンの中村友梨香選手(21)=天満屋=が2時間25分51秒で優勝し、五輪代表の有力候補となりました。マラソン初出場の21歳が優勝し、新しい若きスターが生まれた瞬間でした。

この大会は、すでに名前をよく知られている数々の有力選手が参加したため、多くの国民の関心を集めていました。私にとってのこの大会の興味は、これまでに一度は脚光を浴びたが、その後、負傷などのために苦しい時期を経験した選手達がどんな走りを見せるかということでした。高橋尚子選手(35)と弘山晴美選手(39)という、年齢的にもかなりきつい時期に達した2人にはとくに注目していました。

当然の事ながら、大会前から最も注目を集めたのがシドニー五輪金メダルの高橋尚子(ファイテン)選手でした。私は長年の彼女のファンですので、心から応援していましたが、4年前のオリンピック代表を決めるレースでの失速の悪夢が脳裏を過ぎり、不安に思っていました。あの時、レース前に激やせの高橋選手をみて「これは最後まで持たない」と思った記憶が鮮明に甦ってきました。今回、スタート前の彼女の様子をみて、「4年前と同じで体に余裕がなさ過ぎる。さらに今回は年齢的な衰えもみてとれる。悪夢の再来だ」と直感しました。悪い予感はそのままとなり、9`手前で失速しました。これでは途中棄権もありうる、と思いましたが、沿道の人々の声援に支えられて完走しました。2時間44分18秒の27位に終わりましたが、そのタイムよりも、最後まで走りぬいたことを誉めてやりたく思います。

高橋選手はレース後に記者会見し、昨年8月に米国で右ひざ半月板の半分を切除する手術を受けたことを明らかにし、「メスを入れることにためらいと不安はあったが(名古屋に)挑戦するために手術した。十分な練習ができずに本番を迎え、スピードについていけなかった」と敗因を語りました。高橋選手は、4年後のロンドン五輪への挑戦など、今後について問われると「きょうの結果で『引退』の声も上がるだろうが、手術後ようやく走れるようになった。まだまだ陸上生活は続けたい。もう少し走らせてください」と現役続行に意欲を見せました。4年後のロンドン五輪については「(現時点で)考えられないけど、一歩一歩の目標があって次が見えてくる。あるかもしれないし、ないかもしれない」と話しました。

弘山晴美選手は長年、日本の女子長距離界を支えてきた功労者ですが、マラソン選手としてのオリンピック出場に拘ってきました。39歳での挑戦は彼女の競技人生最後の挑戦であることは誰に目にも明らかでした。夫がコーチを務め、長年夫婦で協力しあってきた姿が印象的でした。この大会の前々回優勝の弘山選手ですが30`手前で「足が重くなって動かなくなった」と集団から遅れました。マラソンでの五輪出場はまたもかなわず、「残念といえば残念」と言いつつ、39歳での挑戦を終え「ここまで良くやってこれたかな」と話したそうですが、ほんとうによく頑張ったと誉めてあげたく思います。

高橋選手は4年後には現在の弘山選手と同じ39歳ですが、その時どうなっているのかと私の心は期待と心配でいっぱいです。両選手と同様、年齢や怪我と戦いつつ必至に生きている人達が大勢います。それぞれの努力を評価し応援していきたく思います。ニューヒーローの中村選手には、体調管理に気を付けて、健康で怪我のない人生を送ってほしいと思います。栄光を手にして、その後、悲劇に見舞われた先輩は大勢います。しかし、その苦しみに耐えて生きている人もまた多いことを知って、人に優しく自分に厳しい生き方をしていってもらいたく思います。

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加納宣康 昭和24年8月4日岐阜県生まれ。現在、亀田総合病院特命院長補佐、主任外科部長、内視鏡下手術センター長、マハトマ・ガンジー・メモリアル医科大学名誉客員教授、帝京大学医学部外科学客員教授

(この原稿は加納医師が、本紙読者のためにボランティアで執筆しています)

08年3月17日 24,393
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