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私にはインド人の友人がたくさんいます。どうして私がインドと関係が深いのかと質問されることがよくありますので、少し説明させて頂きます。

インドとの関係は1991年末に始まりました。当時、私は帝京大学医学部附属溝口病院外科に勤めていました。同院では90年5月29日に、当時の山川達郎教授らが日本初の腹腔鏡下胆嚢摘出術を成功させ、注目を浴びていました。私は縁あって91年5月に帝京へ赴任しました。同年2月に前任地の松波総合病院で岐阜県での1例目を成功させ、その後かなりの経験を積んでいましたので、帝京へ移ってからも何の抵抗もなく腹腔鏡下手術に関与できました。

アジアでは日本で急速にこの手術が普及し始めた時で、91年末には、この手術を始めようとするインド人医師たちが山川先生と私を講演とワークショップに招待してくれました。インド外科学会に合わせ、腹腔鏡下胆嚢摘出術に関する講演とワークショップがハイデラバード、バンガロール、マドラス(現在のチェンナイ)で開催されました。私と山川先生は各地を行脚して講演と手術デモに明け暮れました。

主催者の医師たちとは今も交流があります。その1人がインド外科学会の重鎮、Krishna Rau先生です。日本へも度々来ておられ、日本人外科医にはおなじみの方です。娘さんも外科医で、2人で亀田メディカルセンターへ見学に来られたことがあります。私の家族にもお会いしていただきました。先生はその後もいろいろなところへ私を招待してくださり、インド内視鏡外科学会の名誉会員にも推挙してくださいました。

96年5月に私が亀田メディカルセンターへ移ってからも、インドとの関係は続き、当院へも多くのインド人医師たちが勉強に来ています。その多くは現在、母国で大活躍しており、私も大いに刺激を受けています。亀田メディカルセンターへ来た第1号はUtkrant Kurlekar先生です。プネー出身で、インドの外科医の中では有名な方です。昨年5月には彼のいる病院で手術のワークショップを開催しました。私以外にも米国人医師、イスラエル人医師を呼んで、盛大なものでした。彼の勤めている病院はDeenanath Mangeshkar Hospitalといって、最新鋭の設備を備えた病院です。建設前には同院の幹部が亀田メディカルセンターを見学に来て、当院のアイデアを広範に取り入れた最新式の病院です。

2003年5月に私が心筋梗塞で倒れた後も、インドから講演に招待していただく機会が続き、同年9月には心筋梗塞後の不安を感じながらもチェンナイへ講演に出かけました。その時は当院へ勉強に来ていたLakshmikanth先生が四六時中、付き添ってくれました。最後も空港まで送ってくれることになっていて、彼がホテルへ到着するのを待っていました。ところがその間に、私は突然激しい目まいに襲われました。彼が部屋へ到着した時には、私はバタンバタンと周囲の壁にぶつかりながらやっとの思いでドアを開けたのです。その様子を見て彼はびっくり仰天していました。私がとても帰国できる状態ではなく、すぐに入院させる必要があると判断、前述のKrishna Rau先生に連絡を取り、即入院となりました。今思ってもLakshmikanth先生が付き添っていてくれて、かつKrishna Rau先生の足元で良かったと思います。3日間の入院後、亀田メディカルセンターへ帰ってきましたが、精査の結果、脳腫瘍が見つかりました。

話し出したら切りがないくらい多くのインド人の友人がいます。機会があればインド人医師のみならず、他の国の医師との交流も続編としてお届けしたいと思います。

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加納宣康 昭和24年8月4日岐阜県生まれ。現在、亀田総合病院特命院長補佐、主任外科部長、内視鏡下手術センター長、マハトマ・ガンジー・メモリアル医科大学名誉客員教授、帝京大学医学部外科学客員教授

(この原稿は加納医師が、本紙読者のためにボランティアで執筆しています)

08年4月21日 28,208
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