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最近は新聞を開けば、どこかの病院が労働基準法違反で労働基準監督署から勧告を受けたといニュースが頻繁に見られます。

そのうち、自分のよく知っている病院も調査されるだろうなと思っていましたら、ドンピシャリでした。

2018年3月2日の朝日新聞デジタルに、「医師の残業超過で是正勧告 岐阜の羽島市民病院」という記事がありました。

この病院は私が医学部卒業後10年目に、若き外科部長として再建のために派遣された病院でした。当時は市民の評判が悪くて患者数も少なく、典型的な赤字公立病院で、当時の金額で10億円の借金があると言われていました。

外科、内科はじめ、多くの科が岐阜大学の医局から医師を派遣してもらって診療をしていました。しかし、あまりにも赤字がかさむため、羽島市議会の中から派遣大学を変えてしまえという意見が出るようになり、慌てた市長が、「長年お世話になってきた岐阜大学を追い出すなんて言う不義理はできない」と言って、大学の医学部長と私が所属していた第一外科教授の所へ相談にこられました。

いろいろと相談された結果、市議会の中には「現在いる外科医たちは、大きな手術を要する患者がいると、すぐに大学へ送ったり、大学から他の外科医の派遣を頼んだりしていて、それがさらに病院の赤字を増やしている」という意見が強く出ている実態が明らかになり、「これからはどんな手術でも羽島市民病院内で完結できる外科医を送る必要がある」という結論になり、結果として再建のための外科部長候補として指名されたのが私でした。

私は前年に、それまで4年間勤務した国立東静病院から帰って来たばかりでしたので、また関連病院への派遣辞令が出るとは思っていなかったのですが、大学の名誉をかけての辞令でしたので、快諾いたしました。まだ卒業して9年しか経っていませんでしたが、幸い手術をはじめとした仕事ぶりは大学内および関連病院内でも高く評価していただいていて、論文もすでに年齢の割には多数出版されていましたので、市民病院の外科部長となりました。

私は大学卒直後から猛烈に仕事に励み、すでに「医師は24時間365日、休みがあったら損」という考え方を確立しておりましたので、羽島市民病院赴任後は、赴任日よりも前から出勤して手術にも励んでおりました。

先輩、後輩も含めて猛烈に、仕事に学問的活動に勤しんだお陰で、病院の業績は短期間で急速に回復し、学会発表、論文発表も多数となり、病院の名前も広く知られるようになりました。

そのころに私が中心になって、医師は時間に関係なく、長時間でも厳しい仕事をするのが当たり前、というムードをつくってしまいました。

ひょっとしたらそのムードがいまだに影響しいていて、今回の医師の長時間労働を労基署に指摘される結果になったとしたら、現在の院長および職員の皆様に申し訳ないと思います。

一生懸命働いて、病院の発展に貢献したと思っていたのは、私の独りよがりであったかもしれません。まさかこんな世の中になってしまうとは、当時、想像だにしませんでした。

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加納宣康 昭和24年8月4日、岐阜県生まれ。千葉徳洲会病院長

(この原稿は加納医師が、本紙読者のためにボランティアで執筆しています)

18年3月15日 933
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