企画・エッセイ » 記事詳細

周りの環境、すべてが勉強の種

4月は新入職員を迎える時期です。

房日新聞読者の皆さまにも、それぞれ未経験者、新人、新入職員の時期があったと思います。

医療界でも、医師、看護師、各種コメディカルスタッフの皆さま、事務職の皆さま、すべての職種の皆さまに、学校を出て、初めて職に就いたときの興奮、不安、期待、その後に経験した、幸せ、絶望、屈辱があったことと思います。

私にも苦しい新人時代がありました。親切な指導者が多かった中に、今でも忘れられない意地悪な指導者もいました。

結論的に言うと、どんな人からも、何か学ぶことがあり、職場で出会うすべての人が、自分の先生であったと思っています。

少し具体的な思い出を書きましょう。

私は医学部卒業後、外科医を目指して大学の外科学教室へ入りました。

希望に胸膨らませて、研修医としての生活を始めました。同期入局の新卒医師は7人いました。医師には入職すると、新人医師を直接指導する役目の先輩医師が決められ、その医師の元で、右も左も分からない新人が研修を始めるのです。まずは先輩医師の行くところはどこでも付いて回ることから始まります。

初出勤日に、それぞれの新人医師と指導者の医師の組み合わせが発表されました。私の組み合わせが発表されたときに、多くの職員から爆笑に近い笑いが起きました。どういうことかと私は不思議に思っていましたが、1週間もしないうちに真相が分かりました。

私の指導者のA医師は、病院内で大変問題のある人で、このA医師の元に被指導者として誰を付けるかで大変な議論がなされたそうでした。Aの下に付けられたら、普通の奴ならすぐに逃げ出すか、喧嘩して脱藩(退局)してしまうだろう。Aの下に入れられても耐えていける新人は誰かという議論がなされ、全員一致で、加納しかいないだろうという結論になったとのことを1か月後に知らされました。

私は毎朝、一番に出勤して、「A先生、きょうはどうしたらよろしいでしょうか」と尋ねるのですが、先生は何も言わずに、プイッと横を向いて、どこかへ行ってしまわれるのです。これを日に何度も繰り返すのですが、まったく口を聞いてもらえません。

その他の先輩医師たちは、数日後には見かねて、いろいろな手技を自分の担当研修医に教えるときに、加納君もいっしょにいていいよ、と誘ってくださるようになりました。

私は声をかけられる前から、他の研修医たちが指導を受けているのを脇で見ながら学び取っていましたが、正式に同伴のお許しをえて、ほっといたしました。

私は同期生の中では、オレこそ一番優秀な研修医だと自信を持っていましたので、先輩医師のイジメにも耐えることができ、いろいろな知識、手技を盗み取ることができました。これは後に、自分で直接手を下せなくても、見て学び取る方法を体得することにもつながりました。医局内での評価も「加納は指導者がいなくても一番伸びた。うわさ通り、凄い奴だ」と上昇していきました。

入職後2か月が過ぎた頃、医局長と病棟医長に「加納、ちょっと話がある」と呼ばれました。特に緊張することもなく講師室へ行くと、お2人から、「君には、入職後大変辛い思いをさせて申し訳なかった。実は医局の事情から、Aを切る必要があったのだが、何かもうひとつ決定打が必要だった。そのため、最後のチャンスを彼に与えるために、研修医の指導ができるかどうかを見ることにしたのだ。皆で相談した結果、並みの研修医では彼の下では耐えられないことは明らかだったので、それに耐えられるものは誰かと協議して結果、申し訳ないと思いつつ、加納しかいないという結論になり、君に過酷な経験をさせる結果になったのだ。ほんとうに申し訳なかった。それにも関わらず、君は一番実力を付けてくれた。評判以上の大物であることがわかった。ありがとう」と言われました。

そのころには、私の耳にもいろいろな人から医局の事情が入ってきていたので、「やっぱりそうだったのか」と思うに留めました。

ずいぶん苦しい最初の数か月でしたが、そのお陰で自分は人間的も、外科医の卵としても、大きく成長できました。悲運に見舞われたと思っても、それを栄養に成長しようとする姿勢を醸成させることができました。

* * *

加納宣康 昭和24年8月4日、岐阜県生まれ。千葉徳洲会病院長

(この原稿は加納医師が、本紙読者のためにボランティアで執筆しています)

18年3月19日 856
Copyright (C) 2007 Bonichi. All Rights Reserved