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少子高齢化が進むわが国の中で、1947年から49年の間に生まれた、いわゆる団塊の世代(堺屋太一氏)の私たちは、最近では日本の厄介もの扱いを受けているように感じざるを得ません。「2025年問題」という言葉を聞くと、最近ではビクッとします。

かつては日本の高度成長を支える貴重な戦力であったはずなのに、今では日本衰退の元凶扱いのように感じます。

4月24日の日経新聞は、「政府が2019年度以降の財政健全化計画の議論を始めた。22年には戦後ベビーブームの団塊の世代(1947〜49年生まれ)の第1陣が75歳に達し、後期高齢者に仲間入りする。超高齢社会の日本では医療や介護、年金など高齢者向けを中心とする社会保障に国の歳出の3分の1が回り、その費用をどう抑えるかが課題だ」と記しています。

まったくおっしゃる通り、これが現実ですから否定するわけにはいきません。おれたちがいたからこそ日本はここまで発展して来られたのだから、もっと大切にしてくれよ、と言いたくなりますが、そんな甘いことを言わせていただけないのも分かっています。

2025年問題における「2025年」は、戦後のいわゆるベビーブームに生まれた世代が75歳の後期高齢者の年齢に達する年であると説明されています。要するに1949年生まれの私が生きていれば75歳になるという年です。

厚生労働省によれば、2025年には75歳以上の後期高齢者の全人口に対する割合が18%を超え、65歳以上(前期高齢者)を含めた高齢者の割合は30%を超える。2040年代には高齢化社会がピークに至り、人口の39%以上が65歳以上の高齢者になると予測されている、とのこと。

社会の超高齢化に伴い、認知症を患う高齢者の増加、高齢者世帯の増加、死亡者数の急激な増加などの問題が生じてくる。また、医療費の増大に伴う財源確保の問題、介護を必要とする高齢者の増大に対する介護医療従事者の人手不足なども問題となる。これまでの日本は、他国に例をみない急速な高齢化が主な問題となってきた。2025年では高齢化の早さから高齢化率の高さが問題になるとされる。こうした指摘は2000年代半ばには課題として挙げられているが、2014年現在、あらためて大きな課題として注目されるに至っている、などと記されています。

本当に私たちが生きている間は日本の若者は幸せになれないと言われているようで、息をするのも苦しくなります。

ここまで言われると、団塊世代のじいさん、ばあさんは、生きている限り働き続け、税金を払い続けていくしかない、と感じます、いや、そうせざるを得ないし、そうする覚悟ができないものは、生きていく資格なし、と言うことになるでしょう。

動けなくなった仲間がいれば、高齢者同士で、動けるものが動けなくなったものを介助しあって生きていくしかありません。高齢者が高齢者のための老人ホームで、高齢者のために働くことにより雇用を維持しなくてはならない時代が来るのでしょう。

これを「悲惨だ、悲しい、辛い」などと思わないで、いつまでも続く青春だと思って生きていくしかありません。「君の行く道は、果てしなく遠い」なんていう歌がかつてありましたが、「君はまた、歩き始める、あてもないのに」。生きるのを勝手に辞める、止めるわけにはいかないので、心筋梗塞で倒れても、脳出血で倒れても、脳腫瘍で聴力を失っても、私はもう少し、やせ我慢をして生きていきます。

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加納宣康 昭和24年8月4日、岐阜県生まれ。千葉徳洲会病院長

(この原稿は加納医師が、本紙読者のためにボランティアで執筆しています)

4月30日20時00分 700
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