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私は医師になって以来、仕事に明け暮れる毎日を四十数年、送ってきましたので、頭の中に「連休」という概念がほとんど存在していないのです。

従って、「この連休はどうされるのですか」と聞かれると、すぐに反応ができないのです。

世の中に、連休とかゴールデンウイークとかいう言葉が存在することは知っていますが、自分でそれをどう使うかを考える習慣がないのです。むしろ、年末年始や連休時は通常の病院業務ができなくなるので、困ったものだ、と思ってしまうのです。

前任地の亀田総合病院での20年間も、「休日」になっている日も、まずは朝一番に病棟回診をしてから一日が始まっていたので、一日に1回も病院へ行かない生活には今でもなじめないのです。

今どき、これではいけませんね。今は院長こそ、率先して休まないといけない時代になっているのに、いわゆる「連休」に入ると、そわそわして落ち着かないのです。ほんとうにきょうは休んでいてよいのか、と不安に駆られ、出勤しないことに罪悪感を抱いてしまうのです。

自分自身が回診に行かなくても、すべて若い人たちが責任を持ってやってくれているから、かえって自分は行かない方がよいのだ、と分かっていても、なぜか、不安感、焦燥感が消えないのです。緊急手術があっても、若い人たちが全て対応してくれているから、自分のような年老いた病人が出勤しない方がよいのだ、と分かっていても、どうも体がなじんでいないのですね。院長職に就いていると、さらに「院内で予期せぬことが起きていないだろうか」という不安感も加わってきます。

世の中、「働き方改革」で議論が盛んですが、私のようなワーカホリックの中毒患者の治療法も議論する必要があるように感じます。もっとも、もう数年すれば、その範ちゅうの患者も寿命で死に絶えていく時代に入りますから、無駄な国費、研究費を使わないで、時間が経過するのを待つ方が賢明かもしれません。

自分で治療法を考えることにします。自分で手術をして治せないのが、なんとももどかしいです。

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加納宣康 昭和24年8月4日、岐阜県生まれ。千葉徳洲会病院長

(この原稿は加納医師が、本紙読者のためにボランティアで執筆しています)

5月7日20時00分 685
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