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先日、私は卒後間もない頃に勤務し勉強させて頂いた郡上市民病院(当時は郡上中央病院)へ手術指導に行く機会に恵まれました。

私がよく知っている先輩が院長で、外科部長も私が16年前に指導したことのある後輩ですので、お声がかかったわけです。

私の同院での勤務は1977年9月1日から1980年9月15日まででしたから、もう30年も前のことです。赴任当時、私はまだ卒後2年目の新米医師でした。日中も夜間も病院に留まり夢中で仕事をしていました。その姿をみて当時の職員の皆さんが熱心に助けてくださいました。昼夜を問わず、患者さんがいらっしゃればすべて対応していました。小児も妊産婦もすべて受けいれるという方針でやっていました。その当時一緒に働いていた職員は、現在では看護師、薬剤師、医師、事務員、検査技師、放射線技師などの職種を問わず、皆さん要職についておられ、私の訪問を歓迎してくださいました。

手術室のスタッフは皆若い人が多く、昔の仕事仲間は含まれていませんでしたが、先輩達から私のことをよく聞いていたようで、他人とは思えない、親しい応対をして頂きました。御陰様で手術は2例とも大変スムーズにいきました。不思議なもので、手術が始まると、またたく間に仲間意識が生まれ、まったく違和感なく手術ができました。

手術が終わってからは院長を含めて数人で食事をしながら懇談をしました。その後、21時からは、昔の中間が17人も集まって歓迎会を催してくれました。赴任当時、医師数5人、総職員数・数十人の小さい病院でしたから、その中の17人が集まってくれたのは大変な数と言えます。今も郡上市民病院に勤務している人が多いのですが、現在は周辺の他院へ移動した人達も駆け付けてくれました。ほんとうに懐かしく、感激ものでした。私が退職後、すでに27年が経過しているのですが、昔とまったく同じ連帯感のなかで語りあうことができました。皆、「昔と同じだな」と確かめあいました。変わったところは、皆、少し太目になったことと、女性はシワが増えたこと、男性は頭髪がかなり薄くなって白くなったことくらいです。残念ながら昔の仲間のうち、4人がすでに鬼籍に入っています。御冥福をお祈り致します。

私にとっては、大学卒業後、大学病院で研修医として勤務したあとに赴任した最初の病院でしたから、同院は殊更印象深い病院です。私がここまで医師としてやってこられたのは、ほんとうに同院の皆さまの温かい支援があったからこそと、今も感謝しきれるものではありません。また、職員のみならず、患者さん方も未熟な私を信頼してくださり、診療に御協力いただいた恩を忘れるものではありません。患者さん方が私に手術をする機会をお与え下さったからこそ、現在の私があるのです。この恩に報いるためには、私はこれからもできるかぎり、後輩の医師達に手術を初め医師としての経験、知識、心構えを教え続けなくてはならないと思っています。

今回の訪問が、少しでも昔の勤務地への恩返しになれば幸せだと思います。

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加納宣康 昭和24年8月4日岐阜県生まれ。現在、亀田総合病院特命院長補佐、主任外科部長、内視鏡下手術センター長、マハトマ・ガンジー・メモリアル医科大学名誉客員教授、帝京大学医学部外科学客員教授

(この原稿は加納医師が、本紙読者のためにボランティアで執筆しています)

07年10月8日 11,039
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