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山名金比羅山の鳥居

山中激歩連載【第13回】

(13)丸郷神社から山名金比羅山へ

丸郷神社は巨大である。間口5間の本殿が見る者を圧する。集落から参道を歩けば落ち着いた佇まいだろうが、山中の尾根道から突如この建物が見えると、ちょっとびっくりするのだ。

広い境内の一段下に、中央に杉がある心字池のような大きな池がある。さらにその脇に丸山町時代に天然記念物の指定を受けた樹齢800年の大杉がある。木も大きいが、もっとびっくりするのは、樹の中ほどに亀の甲羅のようなこぶがあること。鶴亀の絵のような長寿の亀である。これが何ともめでたい雰囲気をかもし出す。

一の鳥居から三の鳥居まで、本殿に入るまで3つの鳥居があるから、格式も高い神社なのだろう。ここでお参りし、元の尾根筋に戻る。

尾根道は南房総市道の三山トンネルの上を行く。すぐそばには、石堂と嵯峨志を結ぶ峠道も現存する。かつてはこの峠を越えての行き来があったが、車社会の到来で三山トンネルが開削されたわけだ。

トンネルを過ぎ、杉林の中を緩く下る。コンクリート道に下りると、水田地帯が広がる。ここが川谷の矢田集落である。ここまで4時間。ロングハイクとなったので、休憩を入れる。

コンクリート農道に腰を下ろし、緑の山々を見つめる。

体力が回復したところで、平地を歩く。農家を右にみて、矢田堰から再び山へ。ここからが房央三郡山へのアプローチである。登山口には馬頭観音がある。ここには注連飾りもあるので、まだ信仰が続いているのだ。

やぶにうもれた房央三郡山の三角点

コンクリートの上り坂が足裏に痛い。痛いけど、登る。ただひたすら登る。

民家を左手に見て、さらに登ると、分岐になる。分岐のやぶを分け入る。しばらくは竹林が続く。途中、数珠をもった観音様が安置されている。明治16年の銘だ。いまはやぶだが、かつてはここに人通りがあったということだ。

矢田堰から35分ほどで、竹林が終わる。ここに房央三郡山のピークがある。三郡山とは平郡増間村(旧三芳村)、朝夷郡丸村(旧丸山町)、安房郡山名村(旧三芳村)の三郡の境という意味だ。郡界尾根にある長狭郡、天羽郡、周准郡の三郡境に位置する三郡山(標高337b)と区別するため、山愛好家の間では、房央三郡山と呼んでいる。

名前は素晴らしいが、実際にはやぶ山で、「狢坂」四等三角点(同216・4b)があるだけだ。その三角点もやぶに埋もれ、悲惨な状態だった。

すぐに房央三郡山を退去し、民家を左に見て、さらに次の山を目指す。ここから南側の太平洋の眺めが抜群だ。白渚浅間のピークが確認できる。

倒木の林を苦労しながら進む。時にまたぎ、時にくぐり、房央三郡山から30分で到着したのが、山名金比羅山で、標高は260b。

山頂に人がくぐれるコンクリート鳥居があって、1間半四方のトタン屋根の金比羅宮がある。宮には木製の天狗面2つが収められている。狛犬も灯篭も1対ずつあって、かつては信仰が深かったことがうかがえる。

このピークの南西に標高208・5bの金比羅山があって、やはり区別するために山屋の間では、海老敷金比羅山と呼ばれる。海老敷には林道から登る道があるが、山名は廃道に等しいありさまだ。これでは信仰に登ろうにも、無理だろう。

山名金比羅山からは、するすると下りる。下ったところに馬頭観音があり、そのまま下りれば、林道になる。3日目が終わる。

(つづく)

【写真説明】やぶにうもれた房央三郡山の三角点

【写真説明】山名金比羅山の鳥居

07年7月17日 56,526
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