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瀬高の6尺道

山中激歩連載 【第23回】

(23) 滝から三浦三郎山へ

市井原から瀬高集落へ向かう。東は清澄山、西は鋸山に連なる郡界尾根へ向かう上りである。当然、ルート全体が急勾配の連続となる。郡界は、昔でいえば国境である。古道に峠があって、ここで国への出入りを管理する。そういう場所なのである。

民家を左に見て、小さな流れ沿いに左に折れる。ここからは、ほぼ北に伸びるコンクリート道である。

途中、鋸南町営水道の加圧所がある。これだけの標高差を克服して上水を高みに送る。いくつもの加圧ポンプが必要なのだ。それだけ標高差があるということである。

勾配のきついコンクリ道をじっと耐えながら、登る。汗が噴き出る。昔の人はどんな思いでこの道をたどったのだろうか。

長狭街道から40分ほど歩くと、ここで分岐になる。右へ駆け上るような分岐で、ここに石仏が置かれている。「元文三年」などの文字が読める。御幣が供えられているので、いまも信仰があるということだ。

この石仏のそばに「嵯峨山 保田見」の看板が出る。スイセンで有名な嵯峨山(さがやま)は、小保田から登るルートが一般的だが、瀬高から登る人も少なくない。地元の愛好家が立てた看板なのだろう。好感の持てる案内板である。

その標識に従って、山道へ入る。トージの落ち葉が積もった6尺道である。やぶはなく、しっかりとしている。これぞ鎌倉古道の真骨頂である。

古道は七曲しながら、標高をかせぐように勾配を強めていく。やがて林道に出る。これが林道保田見線だ。轍(わだち)の残る林道をさらに北へ。

林道はいったん上りとなり、また下る。平坦になった部分が保田見峠で、標高は260b。郡界尾根の中ほど、房総の屋根でもある。屋根だからすぐ上を飛行機が飛んでいる。羽田へ向かう国内線か。尾根のすぐ上をかすめるように飛んでいく。

ここが安房と上総の国境。現自治体では鋸南町と富津市の市町境だ。房州古道を往く山中激歩の終着点は、伝説の山・三浦三郎山。その昔、房総にも勢力をふるっていた三浦一族の三郎光村が、隠遁(いんとん)の地として選んだ山という伝説が残る。三浦三郎はまた、この地の小字でもある。

その山へは、林道から分岐道でつながっている。途中までは轍の残る道だから、軽トラックが入っているのは間違いない。

落ち葉の中の石仏群

轍の分岐を行くと、やはり6尺道となる。しばらく行くと左に土塁のような高みがある。ここが三浦三郎の館跡だという。さらにこの道は湊川方面へ伸びている。館跡を過ぎてさらに行くと、右への分岐があって、この小さなピークに馬頭観音、大日如来の石仏がある。明治14年の銘が読める。馬頭と大日の間には高さ20aほどの小さな観音様が鎮座する。房総半島に鉄道が開通するまでは、このルートが一般的な道だったという。鎌倉古道は明治・大正まで機能していたのだ。

歩を戻して、館跡へ。三角形の広い台地でもある。標高は281b。周囲に土塁が張り巡らされ、城跡のような感じである。

白浜城跡から、三浦三郎館跡まで。のべ6日間の山中激歩が終わった。房州古道の薫りが伝わっただろうか。

(つづく)

【写真説明】瀬高の6尺道。鎌倉古道の薫りが漂う

【写真説明】三浦三郎山の落ち葉の中の石仏群

07年7月28日 63,622
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