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庚申山へ向かう道

山中激歩連載【第3回】

(3)畑から庚申山へ

館山市畑の集落を歩く。地区の中心部を南北に貫くアスファルト市道の上である。川崎さんによれば、この市道の西側に別のルートもあるそうだが、この山里を歩くのがベストなのだろう。里見の時代にもこの集落があって、集落は白浜城と稲村城を結ぶルートでの最初の人里だ。当時からこの集落がにぎわっていたのは、想像に難くない。

地区の農家の母屋は、長百姓や名主とみられる名家のような構造もある。米づくりは古くからの産業だし、米はまた通貨でもあった。この静かなる山里で、生産される米もかなりの量と品質だろう。その証拠に、市道の路肩に立派な用水があって、音を立てて農業用水が流れている。田には稲が植わり、しっかり根を張っている。里見の時代から、畑の集落はこうだったのだろう。そんなことを思いながら、アスファルトを歩く。

巨大な庚申塔

地域の中心部は、畑小学校跡地だ。この隣に畑青年館があって、大きな時計がある。その時計が午前10時50分を指している。スタートからちょうど2時間である。

その先に左に向かって登る、コンクリート道がある。ここが館山航空標識所へ向かう分岐だ。緩い上りを行く。民家を右に見て、歩を進めると、ここでもまた、工事中の広域農道が開ける。視界の左右を横切って広い道が建設中だ。この農道を渡って、正面の新しく削られた斜面を登る。庚申神社があるこの小さなピークを、庚申山という。

工事で斜めに切られた斜面を登る。木製の鳥居をくぐる。すでに地元の信仰も薄れているのだろう。こんな風に斜面を切られては、神社には参拝に行けない。鳥居の先の参道も草が伸びている。

小さなピークには、左にヤマに「包」の字の富士講の石碑があり、右には高さ2bもの庚申塔がある。2つの大きな石碑は、畑の集落を見下ろすように立つ。

庚申塔には、見ザル、言わザル、聞かザルの3ザルが彫られ、石塔のてっぺんには卍マーク。庚申塔には銘がなかったが、富士講石碑には「明治五年」と刻まれている。

この庚申山から南側を振り返る。山並みに続いて、遠くに城山が座る。その先は碧(あお)い太平洋。潮騒こそ聞こえないが、遠く潮の香が届きそうな位置である。

(つづく)

【写真説明】庚申山へ向かう道

【写真説明】巨大な庚申塔

07年7月4日 60,868
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