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岩高山参道の石柱群

【第29回 日蓮寺へ】

上人の刃傷を癒した地

壮大な尾根歩きの大トレッキングも、いよいよ最終7日目。内浦湾へ出たところで、尾根は終わりかと思えば、さにあらず。ここからさらに「日蓮道」「市坂」と呼ばれる尾根道を歩いて、勝浦市興津の海岸へ出るのだ。郡界尾根は、まだまだつづくのである。

7日目のスタートは、6日目終わり地点の寄浦港から。特別天然記念物の「鯛の浦タイ生息地」のある内浦湾を右手に見て、海岸沿いの国道128号を歩く。川を2つ渡り、巨大ホテル前を通って、市街地へ。

20分ほど歩いて、左への分岐へ。市原に抜ける県道82号線の旧道で、門前町として栄えた小湊への、植野地区からの参道である。民家もどことなく歴史を感じさせる風情だ。右手に小湊青年館を過ぎると、JR外房線20上野ガードのトンネル。狭いトンネルを抜けると県道82号で、この県道を横切り、小湊鐵工所前を右に入る。

コンクリートの道を歩くと、ガードから5分で、「岩高山参道入口」「高祖日蓮大菩薩」の石柱が出る。「霊跡岩高山日蓮寺ヘ是ヨリ入ル約五丁」の文字もある。さらに「是ヨリ市坂道 天明二年壬寅年」の文字。歴史を感じさせる石柱群である。

威厳漂う日蓮寺の境内

岩高山(がんこうざん)とは、日蓮寺の山号だが、この先にある標高206・9bの岩山の名でもある。この三角点峰こそ、「房州東の鋸山」の異名を持つ、安房最東端の三角点である。この大トレッキングの旅は、最西端の鋸山から、最東端の岩高山までを歩く旅で、いよいよ最終コーナーに差しかかったことになる。

ここから日蓮寺を経由し、山を越えて台宿に出る道を市坂(いちがさか)道という。

石柱群から先は、コンクリートの上り。5分ほどで日蓮寺の階段前に出る。寺の由来が板書きされている。それによれば、創建は建治3年(1277)、日房日家上人による開創である。日蓮上人は文永元年の小松原法難で、地頭・東条影信の襲撃を受け、眉間に3寸余の刃傷を負うが、北浦忠吾、忠内とともに岩高山に入り、この地で養生。ここにある井戸の水で眉間を治したという。境内には上人がこもった養疵窟がある。

このとき老婆お市は、日蓮上人に自分のかぶっていた綿頭巾で、疵の風除けとしたという。この故事にちなんで、この道を市坂という。

階段を登ってすぐ右手にチェーンで囲まれた「御疵洗療癒井戸」が鎮座する。そばには「文永元年十一月」の看板がある。熱心な信者が寄進したのだろう。ステンレスのふたがあって、ていねいな管理がされている。この水で傷が癒えるという。そっと、心(ハート)に水を当てた。

10分ほどコンクリート階段を上がると、本堂がある。厳粛な雰囲気に包まれている。

(つづく)

【ハイキングガイドではありません】

【写真説明】岩高山参道の石柱群

【写真説明】威厳漂う日蓮寺の境内

08年2月7日 41,882
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