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砂防ダム下の上流側の黒滝

[第42回] 五十蔵の黒滝(南房総市和田町五十蔵)

七軒家に残る哀史滝

鴨川市の滝群に戻る前に、南房総市内にいくつか気になる滝があるので、紹介しよう。

和田町の北部、鴨川市との市境に近い五十蔵の集落に、黒滝の小字がある。国土地理院の2万5000分の1地図にも載っていて、以前からこの地名が気になっていた。盆地状の地形に、昔から7軒の旧家があり、地元ではこの集落を「七軒家」と呼ぶ。滝は砂防ダム工事で人工要素が加えられてしまったが、この土地にまつわる哀史≠ニともに、この滝を語りたい。

時は天文3年(1534)4月。里見義豊と、いとこの義堯が骨肉の争いをした、いわゆる里見の内訌である。21歳の義豊は犬掛の合戦で敗れ、最期は自刃して果てる。義豊には側室・倉女があって、胎内に7か月の子が宿る。このとき、長兄の小倉掃部定景、次兄の小倉修理助定綱を呼び、義豊はその子が男子の場合は、姓名を隠し定綱の実子として養育することを頼む。

定綱と倉女は、追っ手から逃れ、夜間、山伝いに逃げる。ようやく長狭と丸の境の大猪山に着く。兄妹はこの里に住み、やがて倉女は男子を産むが、産後の肥立ちが悪く、命を落とす。義豊の子は長じて小倉四郎貞道と名乗り、伯父・定綱とともにこの山里を出て、義弘らに勤仕する。

七軒家の小倉家は、この倉女の流れをくむ旧家で、小倉家系図と「黒滝哀史」が伝わる。和田町史には、この黒滝哀史が全文掲載されている。以上は、記者の意訳である。

山深い黒滝の地で、倉女は歌を詠んでいる。これも黒滝哀史に記載されている。原文はカナだが一部を直して掲載しよう。

黒滝や黒すり森(磑森)の景なれは木の間の月はもれるものかは

下流側は岩盤のナメ滝

黒滝の南西側の大字を磑森(するすもり)といい、大猪山とは、その境にある胴骨山(標高235・9b)を指すのではないか。

さて、その倉女が暮らした黒滝の里に、黒滝川がある。三原川の源流部で、かつてはナメ床の岩盤の美しい沢があった。過去形なのは、砂防ダム工事が施され、自然な姿ではなくなっているからだ。七軒家の集落を左に見て、沢を目指す。田面より一段下がった場所に、清流がある。

沢の中の岩盤を歩くと、正面に最初の砂防ダムが出る。下がコンクリートで上段は蛇かご式。県南部林業事務所による平成4年の透水ダム工の銘板がある。

この最初のダムを乗り越えると、その先に小さな淵があって、さらに上に岩盤の流れがある。最上流にはやはりコンクリート、蛇かご式の透水ダムが設置されている。高低差が10bはあろうか。立派な沢である。

とても滝と呼べる形状ではないが、倉女の物語と黒滝哀史を重ねると、この人工滝も愛おしく感じる。滝は自然の姿であるに越したことはないが、戦国の歴史を踏まえれば、その人工感も帳消しにされそうだ。

滝ファンにはしかられるかも知れないが、房州寂名瀑とはそんな存在でいい。

【写真説明】砂防ダム下の上流側の黒滝=南房総市和田町五十蔵

【写真説明】下流側は岩盤のナメ滝=同

11年4月9日 31,156
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