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菱川師宣の墓とされる一角=鋸南町保田

文豪・夏目漱石が房州を訪れて今年で120年。鋸南町保田で海水浴をして過ごした漱石は、10日間の保田滞在後、館山の那古寺も訪れたという。保田―那古間は、いまでこそ電車、自動車で小1時間ほどだが、当時の漱石は20`の道程を歩いたのだろう。11月には鋸南町主催で「漱石の道ハイキング」が計画されている。先行してこのルートを歩いた。きょうから短期連載する。(忍足利彦記者)

[第1回]保田駅から

漱石は、東京・霊岸島から汽船で保田へ着いた。明治22年(1889)8月のこと。保田の旅館に仲間と宿泊しながら、22歳の夏を満喫している。この大歩行も保田を出発点としよう。

一行は記者を入れて8人。隊長はご存知、川崎勝丸さん。山のベテランの案内だが、今回は比較的高低差のないルートである。

JR保田駅に午前8時半集合。そのまま駅前商店街を歩き、本郷浜へ向う。駅前通り(県道保田停車場線)を南に進み、商店街の中ほどにある「そば福本」の角を西へ折れる。人だけが通れる道で、民家の軒が連なる。

房州海水浴発祥の地の石碑=同

路地を出た先が、国道127号。路線バスの「保田駅入り口」バス停がある。国道を横切って、さらに路地を入る。この角がかつて郵便局があった場所で、漱石はここから手紙を出したのではないかという。

この路地を「寺町通り」という。路地を右に折れると、左手が「浄土宗別願院」。通称「浜の寺」だ。本堂前に墓地が広がり、この墓石群の一角に、規模は小さいが立派な大仏が鎮座する。この一角が浮世絵の大家、菱川師宣の墓といわれている。昭和49年に町が文化財に指定している。

寺の敷地内に踏み石が置かれ、ここを抜けると出た先が本郷浜である。一般的にはここが保田海岸といわれる。海岸の奥まった部分、浜の寺の裏側に立派な石碑がある。正面に「房州海水浴発祥の地」の文字。裏の碑文には、明治22年に漱石がここで海水浴をした旨の史実が刻まれている。建立したのは「昭和丙寅七月 厚海熊太郎」だから、昭和61年に当時の厚海町長が建立ということになる。漱石海水浴から1世紀を記念したものだ。

漱石の足跡をたどる大歩行は、漱石の海水浴の場所という史実からスタートすることになった。

【写真説明】菱川師宣の墓とされる一角=鋸南町保田

【写真説明】房州海水浴発祥の地の石碑=同

09年10月2日 23,015
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