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頼朝が落ち着いたとされる神明神社=鋸南町竜島

[第3回]竜島から

旧左右加宅近くには、竜島の神明神社がある。頼朝は上陸後、この神社に落ち着いたとされる。宅地の中にひっそりとたたずむ社殿を右手に見て、浜へ出る。船揚場の左手に茶色のかわらを載せた八王子神社がある。ここが八王子鼻と呼ばれる場所だ。現在は使われていないが、ここが東海汽船の乗り場で、かつては東京と内房を結ぶ拠点でもあった。

突堤の付け根に「源頼朝上陸の碑」がある。県指定の史蹟でもある。

護岸の先に広がる竜島海岸は砂浜が広がり、風光明美な地である。正面に大きな浮島、その左手には奇岩のみさご島(傾城島)が浮かぶ。左手に松林が広がり、そのまま歩くと渚大橋になる。佐久間川の河口に架かる橋である。

橋を渡った先が、勝山地区。正面に大黒山が座り、この麓に金尾谷村(現・南房総市富浦町福沢)の名主・忍足佐内が投獄された岩穴があるというが、現在はその所在は明らかではない。徳川十代の世、義民・左内は、年貢の減租を江戸表へ直訴する。勝山藩の代官はこれに怒り、勝山の獄に投じたという史実の現場である。

巨人の拳のようなげんこつ岩=同町勝山

大黒山の麓を歩くと、正面に建物を抱くような岩が座る。これを地元で「げんこつ岩」といい、拳のような形をしている。海水浴の漱石は、保田海岸からこの岩を眺め「巨人の拳」にたとえたという。

岩を回ると、勝山漁港が広がる。この地域こそが、醍醐新兵衛が鯨組を組織し、大規模な捕鯨を続けた地である。住宅が密集し、保田の街並みとはまた違った雰囲気がある。

勝山漁協漁村センターから、住宅街を東に向う。道の両脇に軒が連なり、浜人たちの暮らしが息づく。子どもの姿こそないが、かつてはこの通りには子らの歓声が響いたことだろう。

クルマの通る幅はあるが生活道路であり、人が歩くのが一番似合う道だ。一部路面にはクジラの絵が描かれ、ここが捕鯨基地であったことをうかがわせる。

製氷工場の間を抜けると、県道勝山港線に出る。この広い商店街を横切り、内宿方面に進む。ここからは、捕鯨文化と勝山藩の歴史が漂う、大歩行となる。

(つづく)

【写真説明】頼朝が落ち着いたとされる神明神社=鋸南町竜島

【写真説明】巨人の拳のようなげんこつ岩=同町勝山

09年10月3日 23,687
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