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忍足佐内の史実を後世に伝える石碑=南房総市富浦町深名

[第8回]深名から

岩先の地蔵を右に見ると、左に特別養護老人ホーム「アイリスの里」が出る。この辺からは記者(忍足)の地元とあって、知り合いによく出会うようになる。リュックを背負った大人が8人。不思議な眺めなのだろう。「保田から那古へ向けて歩いている」と説明すると、驚いた顔で返される。これも地元記者の仕事なのだ。

通称・真瀬口交差点を渡り、左に八束小学校を過ぎる。この先の橋が千部川橋。下の流れは八束小旧校歌に歌われた、清き流れの千部川である。2級河川・岡本川の支流だ。

県道犬掛館山線を行く。右にパチンコ「エイトツー」を確認すると、その向こうに富津館山道路の富浦ICが見える。国道127号バイパスが走り、いよいよ館山市との境も近くなる。

白塚の河川敷にある砂かみ地蔵=同町福沢

福沢交差点の左手にローソン富浦店がある。この手前左側の高くなった場所に、やぐらとおぼしき岩穴があり、石宮も安置されている。目の前は片側2車線の道路。宮は忘れられたようにたたずんでいる。すでにこの宮に参拝する人もいないのだろう。

大きな国道交差点を青信号で渡る。そのまま県道犬掛館山線を下って、船形方面へ歩を進める。

福沢川(岡本川支流)に架かる橋が、白塚橋。この橋のすぐそばに義民・忍足佐内の碑がある。左に碑を見て細い道を奥に進むと、川原の草の中に、石屋根のついた宮がある。これを地元では「砂かみ地蔵」と呼ぶ。義民・左内は、悪代官によってこの白塚の川原で命を絶たれた。村人の見守る中での処刑である。正義の訴えは凶刃によってかき消され、左内の首は川原で跳ねる。無念さゆえに、胴体を離れた左内の頭部は川原の砂をかんだという。ゆえに砂かみ地蔵である。

この大歩行では、勝山大黒山の麓で、左内が投獄された岩屋近くを歩いた。そしていま、処刑の現場に足が届く。時代を超え、歴史をまたいだ大歩行でもある。

(つづく)

【写真説明】忍足佐内の史実を後世に伝える石碑=南房総市富浦町深名

【写真説明】白塚の河川敷にある砂かみ地蔵=同町福沢

09年10月6日 22,515
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