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天守閣を模した久留里城址資料館

[第2回]怒田へ

静寂の桃源郷を行く

展望台から階段を上ると、正面に白亜の城が出る。これが天守閣を模した久留里城址資料館である。

本丸跡は天守閣の左側で、ここに四角形の盛り土がある。考古学的な価値を残し、現代に戦国城を再現したというわけだ。

天守閣を右手に回ると、昭和54年3月に建てられた「久留里城再建記念碑」が建つ。揮毫は当時の知事、川上紀一氏。富浦在住の記者(忍足)は、富浦出身の政治家の筆に、この上総の地で出会ったのである。

石碑を左に見て、「怒田(ぬた)方面 内山堰」の看板に沿って山道へ入る。本丸跡の高さは海抜145b。すでに相当の高さを稼いでいる。ここからの尾根道は比較的平坦である。

細尾根は雑木林になっていて、歩くのも気持ちいい。周辺は「久留里探鳥路」の指定だから、バードウオッチングも楽しめる。「武者落とし」と呼ばれる、要害の跡もあって、歴史も楽しめる尾根道である。

怒田第2隧道前でアスファルト道に出る

時折、右手に上総富士が現れるので、この眺めを楽しみながら山道を歩く。本丸から30分ほどで、アスファルト道路に出る。右へ行けば「怒田第2隧道」で、このトンネルを行けば、浦田方面へ出る。ここで小休止して、アスファルト道を左へ歩く。

上総国村誌によれば、怒田はかつて「いかりだ」といい、久留里城主・里見義堯がこの一帯に棲む毒蛇を退治し、新田を開いたので泥濘(ぬかり)田と呼ばれたのが、地名の始まり。いま歩いてきた道を含め、本丸に通じる間道がいくつもあったため、里見氏はこの怒田の地を、城の後背地として重要視していたという。

なるほど、山道から降りた先は、静寂の農地が広がり、大手門側の雑然たる城下町の雰囲気とは一線を画しているようだ。山紫水明のような景色は、この地が君津市内であることすら忘れさせる。

怒田の地を歩く。道の両側に農家がいくつかある。庭には立派な蔵があって、この地の経済力を見せつけられるようだ。路傍の石宮には、正月飾りが据えられる。この先にも、いくつかの宮があるのだが、この地の風習なのだろう。わらをなって、鳥居状に仕上げてある。輪飾りや玄関飾りとはまるで違って、安房との文化の違いも感じさせる。

先頭で案内してくれる、川崎勝丸さんが言う。「怒田の地は、桃源郷なのです」。

(つづく)

【写真説明】天守閣を模した久留里城址資料館

【写真説明】怒田第2隧道前でアスファルト道に出る

10年4月1日 8,106
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