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枯れススキの海へ向かう一行

[第3回]北向地蔵へ

尾根筋に歴史ある祠

怒田の集落を歩く。農地のあちこちで、草を焼く煙が上がる。純然たる農村には、この煙の筋が良く似合う。朝の桃源郷を歩くと、心が洗われる思いだ。

途中に、左に山へ上がるコンクリート道があり、ここに「北向地蔵 縁日毎月24日」とある。このコンクリを上がれば、北向地蔵へ出るが、川崎さんは「裏街道を行きましょう」という。

砂押地区の農家を右に見て、水田が広がる道を行く。構造改善が終わり、用水も蛇口式である。排水閘門もあるので、暗渠排水が施されているのだ。山紫水明の桃源郷は、農地も十分整備されている。

田と山の間の未舗装道を上がる。しばらく行くと、枯れススキの海となる。幸い、1月の山である。枯れススキをかき分けて進むのは、苦ではない。が、夏場ならばこうはいかないだろう。

トタン張りの大きな農作業小屋が出て、その左側に馬も牛も通ったという6尺道の古道がある。これが裏街道だ。

善光寺を向くという北向地蔵の祠

両側が切り立ち、中央の岩盤に水の流れがある。山の絞り水なのだろう。晴天が続いても、水は枯れない。久留里は水豊かな里なのだ。

15分ほど歩くと、アスファルト道と合流する。「北向地蔵」の看板を左に上がってくれば、この道になる。この舗装道の開削で、裏街道は使われなくなった。が、分水嶺行には、未舗装道が似合う。この合流点で小休止し、舗装道を南下する。

10分ほど歩くと、左に馬頭観音が出る。小さなトタン屋根があって、馬頭観音には「天保三年」の銘が彫られている。馬頭観音は馬が倒れた地に建てられることが多いというから、この道も江戸時代は重要な街道だったのだ。

馬頭観音のすぐ先の小高い地に、立派な祠がある。これが北向地蔵である。正面の階段を上る。水の張られた手水鉢があって、地蔵祠が鎮座する。北向きとは、すなわち信州・善光寺を向くという意。所願成就で知られ、里人の信仰を集めた。現在も管理は行き届いていて、祠の左には休憩場所もある。その奥には仮設トイレもある。

祠の中に石の地蔵が座る。左手には台座に彫られていた銘が木板に再現されている。そのまま掲載しよう。

「右脇 此より右きよすみ江 寛保二年 壬戌」「正面 願主 怒田村浄心」「左脇 二月吉日 当村念佛講中」

寛保2年に、怒田村の念仏講がこの地蔵尊を建立したということだ。清澄への街道であったことも右脇の文字で分かる。歴史ある地蔵なのだ。

記帳用のノートがあったので、房州から取材に出向いた旨を記載し、家内安全とこれからの歩行の安全を祈った。

(つづく)

【写真説明】枯れススキの海へ向かう一行

【写真説明】善光寺を向くという北向地蔵の祠

10年4月2日 8,066
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