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北向地蔵尊の霊水

[第4回] 横尾番所跡へ

古道に無残な轍の傷

北向地蔵を出ると、アスファルト道の路傍にコンクリートとトタンで囲った水場がある。そばに「北向地蔵尊の霊水」の看板。霊験あらたなる湧き水という。川崎さんが口に含むので、記者(忍足)も真似て一口飲む。ほんのり硫黄の匂いがした。

この林道の坂を下ると、左カーブとなる。カーブの外側に平地があって、ここから再び山道になる。が、ここから先しばらくは、道がとんでもない状態になっていた。

北向地蔵から川越藩の横尾番所を結ぶ歴史ある古道で、砂岩の岩盤の上に築かれた道だ。江戸時代から久留里と清澄を結ぶ重要な街道だったに違いない。現在は国道も県道も有料道路も整備され、久留里から鴨川まではクルマの通る立派な道だが、江戸から明治にかけては、この尾根筋を人が歩いたのだ。地蔵尊もいくつかあって、歴史的価値の高い古道だが、残念な状態になっていた。

その原因は、オフロードバイクの横行である。ブロックパターンタイヤというキャラメルを張り付けたようなタイヤでこの細い尾根道をバイクが走行しているのだ。幅は最大で1・8b、最小では0・6bほどの細い尾根道だが、道の中央に1本の轍(わだち)があって、ブロックパターンタイヤで深く掘り込まれてしまっている。少ない台数ではない。かなりの数のオフロードバイクがここを走って、岩盤を掘ってしまっているのだ。

ひどい二輪車の轍跡

歴史ある石畳のような道に、無残に轍の傷が切り込まれている。ここをよけて歩くのだが、これがまた歩きにくい。なぜこの細道をバイクが走るのか、それが理解できない。

腹を立てながら、山道を歩く。林道から40分で小水への分岐になる。左へ土の道が分かれるが、バイクの轍は直進している。

さらに5分歩くと、広い平らな場所に出る。広いといってもモウソウチクが繁茂していて、視界は狭い。この竹林の一段高くなった場所に、巨大な石幢(せきとう)六面地蔵がある。

六地蔵が浮き彫りされた六面体の上に、特徴ある石の屋根が乗る。かつては竹やぶに埋もれていたが、川崎さんらのハイカー仲間が竹を切り、人の目につくようにした。

台座には「享保七年寅年十月吉日 きよすみ道 上総國望陀郡坂畑村」の文字が読める。この尾根の南下、坂畑集落の人が、1723年に奉納したということだ。久留里から清澄に続く古街道は、ここで分岐点となる。

(つづく)

【写真説明】北向地蔵尊の霊水

【写真説明】ひどい二輪車の轍跡

10年4月3日 7,955
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