企画・エッセイ » 記事詳細
鹿島山麓の墓石群。ヒバが手向けられている

[第35回]鹿島山から増間へ

ダム下で7日目終える

長沢三角点からは比較的平坦な道が続く。こうして気軽に歩いているが、この三角点を世に知らしめたのも、川崎勝丸さんら山仲間なのである。感謝しながら山道を歩く。

余蔵山の頂が見える場所を過ぎ、30分ほど歩くと、鹿島山への分岐となる。左手にいくつかの墓がある。墓前にはヒバが供えられ、新しい注連縄もある。最近のものだから、この正月に飾られたか。山深い増間の地であるが、この鹿島山は集落よりももっと奥である。墓があるということは、かつては近くに住居があったのだが、現在は更地にマテバシイが生えている。

更地を左に見ながら、その奥の尾根を登る。ピーク手前に四等三角点があり、その奥に石宮がある一角がある。ピークは標高270・8b。鹿島山は増間地区の名峰で、麓には関連する日枝神社があって、毎年3月1日には御神的(おまと)神事が行われる。威容を誇る山だが、現在は訪れる人も少ない。もっとみんなで踏みしめれば、楽しい山になるだろう。

山を降りると荘厳な雰囲気の日枝神社

山頂には石宮のほかはなにもない。スダジイの樹林があって、眺望もまったくない。

この頂とお別れし、集落へ直接降りる急な下りを行く。土が湿って滑ることこのうえない。

慎重に急坂を下ると、最初の民家になる。ここからはコンクリート道。そのまま歩を進めると、ハランの世話をするお年寄りに会う。あいさつをして、細道を歩く。ここがかつてあった越路小学校へ続く道だ。この小さな峠を越えると、善通寺になる。よく管理された寺で、草も生えていない。

善通寺前から増間の集落を眼下に眺める。山紫水明の里に農家が点在する。経済社会は利益一辺倒で、こうした山村の暮らしを継続しにくくしている。商店も医者も、いまはない。が、平家の落人伝説の残るこの地は、現在も脈々と人の暮らしが息づく。鹿島山周囲に降った雨は、増間川となって、館山湾に注ぐ。人智はこの上流域に水道ダムを建設し、館山・富浦の人々の水源とした。分水嶺は水を分け、人々の暮らしに欠かせない上水道となった。

水の里・久留里から、7日間かけて分水嶺を歩いた。いまここに、増間ダムの下に到着。あああ房総半島、遥かなり。 (つづく)

【写真説明】鹿島山麓の墓石群。ヒバが手向けられている

【写真説明】山を降りると荘厳な雰囲気の日枝神社

10年5月11日 7,855
Copyright (C) 2007 Bonichi. All Rights Reserved