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若潮国体時代の高体連の標識

[第11回]三郡山へ

遥か西に鋸南の連山

ここからはアップダウンの続く、変化に富む尾根道となる。道の半日陰となった場所に、カンアオイのハート型の葉があった。もう花があるだろうと、地面の落ち葉をよけると、そこに小さく可憐な三角形の花が。地味だが健気、目立たないが美しい、そんな清楚な花である。

尾根を下ると、今度は急な上り。ここにトラロープがあって、登った先に「笹郷山 高宕山 高体連」の手づくり看板がある。昭和48年の若潮国体の山岳コースとなった名残だ。今年の千葉国体の山岳競技は体育館内の人工クライミングだった。野山を駆け巡る山岳競技も37年で姿を変えてしまった。

三郡山のピークに到着

看板のピークをロープで降りる。平坦気味の尾根を歩くと、ススキの花穂が見え、西側から光が差し込む。川崎さんが列の先頭で「あれが鋸山、次が嵯峨山……」と、名調子で解説している。鋸山が見えるということは、もしかして。そう思って先頭に追いつくと、さらに人骨山、津森山、津辺野山と鋸南地区の名山が遥か遠くに浮かぶ。

記者(忍足)「この景色はもしかして」

川崎「そうです。三郡山の直下です」

「久留里から布良まで 房総分水嶺 半島の背骨を歩く」の連載で5日目に歩いた三郡山である。取材日は今年1月29日。いま続編で再びこの三郡の地に立つ。えもいわれぬ感動である。

鋸南の連山が見える場所から少し上がると、標高337bのピーク。山湯会の立てた「三郡山」の看板が出迎えてくれる。

このピークが長狭郡(鴨川市)、天羽郡(富津市)、周准郡(君津市)の3郡の境であることからの命名だが、国土地理院地図に山名の記載はないし、周囲は杉が植えられ、眺望もない。立派な名の山なのだが、存在はどこか寂しげだ。もう少し北側を伐採すれば、千葉の名山に数えられるのに、と少し残念な気がした。 (つづく)

【写真説明】若潮国体時代の高体連の標識

【写真説明】三郡山のピークに到着

10年11月22日 22,386
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