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鋸南側の国道127号元名トンネル

「関東の親不知」貫く

C国道127号と富津館山道路

鋸山から西に伸びる郡界尾根は、かつての交通難所だった。延宝2年(1674)、徳川光圀がここを訪れ、磯場を岩伝いに明鐘岬を越えている。時代が下がって、伊能忠敬は享和元年(1801)、沿岸測量のため、松平定信も文化8年(1811)、江戸湾防衛視察のため、この岬に立ち寄っている。

干潮時にしか歩けない困難な場所。人はこの明鐘を「関東の親不知」と言った。

その交通難所が解消されたのは、それほど古いことではない。海岸沿いに南北に貫く国道127号が、現在のような形で全面開通したのは、昭和27年。昭和18年から軍事用道路として整備されたが、終戦によって一時中断。産業振興に欠かせない道路として、2級国道と指定されたのである。

時代を追ってみてみよう。

初代安房郡長、重城保の事蹟は「県に請い、郡に諮り、苦心惨憺、巌を穿ち、渓谷を埋め橋梁を架し、険峻を削平し、隧道を開鑿する十数か所」(君津郡誌、一部現代かな)と記される。二代目郡長、吉田謹爾も全力を傾注。明治21年(1888)に、旧ルートの明鐘隧道が完成している。

昭和18年、千葉―館山の間は、一般国道と切り離し、軍事国道に指定され、「特37号国道=通称房総国道」として、工事が進む。終戦でこの軍事国道はストップしたが、産業振興、観光開発の面で重要道路と位置づけられ、戦後も改修を続行。昭和27年に全線開通し、2級国道127号と指定される。

現在もあるトンネルの完成は▽明鐘(108b)昭和26年▽汐噴(23b)昭和26年▽元名第一(119b)昭和25年▽元名第二(97b)昭和26年――で、これに覆道などが追加され、現在の姿になっている。

郡界尾根から見る富津館山道路

とはいえ、明鐘トンネルは坑道内が屈曲するという狭あいなトンネル。死亡事故も起きており、これに代わる安全なルートが求められた。南無谷―小浦間、元名―金谷間は、現在も規定雨量(連続200_)を超えると通行止めになる区間で、内房側の新たな大動脈が求められていた。

これが高規格127号富津館山道路である。

その富津館山道路は、国道127号の東側を南北に走る。一部、片側2車線だが、富津竹岡―富浦間20・4`は基本的に片側1車線。構造は高速道路のようだがそうではなく、正確には一般国道自動車専用道路である。並行する国道127号のバイパスとしての位置づけだ。

竹岡―富浦間の全線開通は平成16年(2004)5月。区間の最長トンネルが鋸山トンネル。長さは1551b。圏央道(首都圏中央連絡自動車道)の「(仮称)笠森トンネル(2420b)」が貫通するまでは、山岳トンネルとしては、県内最長の座にあった。このトンネルを富津市側から入ると、鋸山の鋸歯がはっきり見える。国道127号の金谷側よりも奥まっているためだ。郡界尾根の新展望台のほぼ真下を南北に貫いている。

(つづく)

【写真説明】鋸南側の国道127号元名トンネル

【写真説明】郡界尾根から見る富津館山道路

12年6月23日 21,664
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