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苔むす石群の中の庚申塚

A表参道エリア(下)

表参道エリアのつづき。

<庚申塚>

仁王門の右に、苔むす石群がある。見ざる言わざる聞かざるの三猿が浮き彫りにされている板碑形の庚申塔。

中国の道教の影響を受けた民間信仰で、庚申の夜、三尸の虫が体内から抜け出し、天帝に悪事を報告する。このため、庶民はその夜を寝ないで過ごした。石の側面には「寛文五年」(1665)の文字がある。

<行基椎>

開山の高僧、行基が植えたと伝わる椎の木。観音堂右手に枝を広げる。この下に閼伽井がある。

<観音堂>

本尊は慈覚大師作の千手十一面観世音菩薩。建物は元禄13年(1700)の建立。観音堂と仁王門、呑海楼は昭和14年(1939)の火災をまぬがれたため、当時の姿を伝える。安房国札観音霊場の第8番の札所。御詠歌は「はるばるとのぼれば日本の山おろし松のひびきもみ法(のり)るらん」。旗本・曽根懶斎の書による扁額「円通閣」がかかる。

<十二神将>

薬師如来を守る12人の武神。それぞれ十二支に配され、頭に十二支の動物をかたどった印がついている。この像は、観音堂先右手の岩に穿った穴にぴたりと納まる。ひたいには申の顔があり、摩虎羅大将という。

12体あったが、完全な形のものはこれ1体のみ。破損した十二神将像がいくつか残る。

作者は地元・元名の石工、武田石翁(1779〜1858)。三芳村本織に生まれた石翁は、元名の石工、小滝勘蔵に弟子入りし、見込まれて婿養子に。芸術的な石彫りを得意とし、安房各地に作品を残している。安房の三名工の1人。

<心字池>

草書体で「心」をかたどった池。石橋が七つかけてあるので七橋公園ともいう。禅宗の影響を受けた鎌倉・室町時代の庭に見られる日本庭園の伝統的な手法で、日本寺にもその伝統が息づく。

池のかたわらには「鋸山再興之碑」。明治の廃仏毀釈で荒廃した鋸山を、地元で出資して復興したことを記している。建立は大正5年(1916)。

【写真説明】苔むす石群の中の庚申塚

【写真説明】浮き彫りになった三猿

【写真説明】観音堂右手の行基椎

【写真説明】千手十一面観世音菩薩を納める観音堂

【写真説明】十二神将のうち摩虎羅大将

【写真説明】七橋公園ともいう心字池

浮き彫りになった三猿 七橋公園ともいう心字池千手十一面観世音菩薩を納める観音堂観音堂右手の行基椎十二神将のうち摩虎羅大将
12年10月1日 9,232
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