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東口管理所をくぐると出る大黒堂

B東口エリア(上)

表参道から、心字池まで上がった。このルートは昭和57年(1982)に、先代住職の藤井徳禅師が全面補修したもので、元名石の階段を御影石に改修している。全山、この階段に修復したのだから、その費用も莫大なものだったろう。

今回は東口から呑海楼方面に歩くルートだ。

<大黒堂>

東口管理所を入り、階段を上ると正面に建つのが、大黒堂。弘法大師が彫ったとされる大黒天像をまつる。これは石仏で、秘仏とされる。普段は御前立として、渡辺貞光氏が彫った木像が飾られている。

<薬師本殿・医王殿>

大黒堂を正面に見て、左に階段を降りる。一段下がった場所にあるのが、新築なった薬師本殿である。昭和14年(1939)の火災で焼失し、礎石だけが残っていた。平成19年(2007)10月に鎌倉時代の禅宗様式で再建。内部には薬師如来像があり、それを守る十二神将が座る。武田石翁作の十二神将像は、元はここにあったと見られている。消失前の仏殿は、源頼朝による醫(医)王殿の扁額が掲げらてれていた。

その名残を残すのが、本殿先の源氏不動の石碑で、天保15年(1844)建立。

<乾坤稲荷>

薬師本殿医王殿先の岩の上にある小さな稲荷社。赤い鳥居の先に岩を穿って稲荷社がまつられる。鳥居の手前に、2匹の狐が躍る。1匹は尾が長く、もう1匹は岩の穴から顔をのぞかせる。日本寺の山号である乾坤とは、易学の卦の乾と坤、つまり天と地、陰と陽という意味。

<四方竹>

乾坤稲荷を過ぎ、石橋を渡ると、右手のやぶに四方竹の一角。普通の竹の茎が円柱なのに対し、四方竹は四角。

<頼朝蘇鉄・長谷川 馬光句碑>

四方竹先の広場にある大ソテツが、源頼朝が手植えしたというソテツ。竜島に上陸後、日本寺に戦勝祈願に訪れた際に植えたという。樹齢は八百余年と表示されている。

そのソテツの一角にあるのが、達磨石。

植え込みの中にある句碑には、江戸時代の俳人、長谷川馬光の「引きおろす鋸山の霞かな」が刻まれている。馬光は葛飾派の俳諧の師匠で、五十回忌の寛政2年(1790)、同じ葛飾派の門人で元名村名主の岩崎善右衛門(俳号・児石)らによって建てられた。

葛飾派の小林一茶も、この碑の除幕式に出席、日本寺を訪れている。

<沙羅双樹gt;

現在は撤去されたが、頼朝蘇鉄前に仮法堂があった。昭和14年の火災で本堂を含む堂宇が焼けた後、仮に建てられた堂である。現在は本堂再建に向けて、撤去されている。この一角にあるのが、沙羅双樹。一般的にはバクチノキといい、木の幹の皮がはがれていく様が、博打に負けて身包みを脱がされているようにも見える。

が、ここは由緒正しき日本寺である。この木を沙羅双樹に見立てている。インドではシャラノキを指すが、ナツツバキも沙羅双樹とする向きがあるので、ここは寛容な心とすべきだろう。

(この稿つづく)

【写真説明】東口管理所をくぐると出る大黒堂

【写真説明】新築なった薬師本殿・医王殿

【写真説明】赤い鳥居の乾坤稲荷

【写真説明】稲荷の岩に躍る2匹の狐

【写真説明】四方竹の生える一角

【写真説明】枝ぶりの見事な頼朝蘇鉄と達磨石

【写真説明】樹肌も独特の沙羅双樹

新築なった薬師本殿・医王殿 赤い鳥居の乾坤稲荷 稲荷の岩に躍る2匹の狐 四方竹の生える一角 枝ぶりの見事な頼朝蘇鉄と達磨石 樹肌も独特の沙羅双樹
12年10月6日 9,370
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