企画・エッセイ » 記事詳細
つたが岩にへばりつく薜蘿洞

F羅漢エリア(下)

羅漢エリアのつづき。

<薜蘿(べきら)洞>

薜蘿(つたかづら)がからまって、錦のようなことから名づけられた洞。現在もつたが岩にへばりつく。狭いこの穴を通って、奥の院無漏窟へ続く。掲げられた額は、勝山藩主・五代酒井忠鄰の奉納。

<奥の院無漏窟>

漏は人間の煩悩で、それを断滅した状態が無漏。釈迦三尊の釈迦如来、普賢菩薩、文殊菩薩と、釈迦の十大弟子を安置している。

<牌堂>

維摩窟や無漏窟が自然の岩肌を利用しているのに対し、日牌堂は岩をくりぬいている。内部には整然と石仏が並ぶ。かつては庇があったというが、いまはない。

<筐印塔>

日牌堂の隣にある。江戸・蔵前の大口屋平兵衛が寄進した。見上げるような立派な大きさ。

<大野英令の墓>

上総国桜井(現・木更津市桜井)の石工、大野甚五郎英令の墓。安永8年(1779)、この山に上がり、寛政10年(1798)までの21年間、門弟27人と生涯をかけて、羅漢像を刻んだ。

羅漢とは仏教において、尊敬や施しを受けるに相応しい聖者のこと。

日本寺と鋸山を有名にしたのは、大野英令が刻んだ千五百の羅漢像である。発願は日本寺の高雅愚伝禅師。石材は伊豆から取り寄せたといわれ、この石仏群が幽玄のムードをかもし出している。

寛政10年に48歳で没した。

<百躰観音>

宝筐印塔から先は、日本寺境内で唯一、山らしい雰囲気が楽しめる道がある。木の根も出ていて、尾根道の風情である。この先の階段を上った先が、百躰観音。このエリアの石仏はすべて観音様で、柔和な表情でたたずむ。船に乗った岩船観音という珍しい像もある。

<あせかき不動>

百躰観音の左手、奥に進むと、岩を穿って不動明王像が鎮座する。憤怒の表情ではなく、名前とともにどこかユーモラスだ。

<通天関>

天に通じる門の意。岩穴を通り抜けると、いよいよ頂上が近い。だから通る天である。両脇には仁王様の石像がある。

<西国観音>

通天関の先にある石仏群。百躰観音と同じく、観音像が並ぶ。ここまで来れば、山でいえば九合目。

【写真説明】つたが岩にへばりつく薜蘿洞

【写真説明】十大弟子を安置する奥の院無漏窟

【写真説明】岩をくりぬいた日牌堂

【写真説明】見上げるような宝筐印塔

【写真説明】大野英令の墓

【写真説明】柔和な表情の百躰観音

【写真説明】天に通じる意の通天関

【写真説明】最上段にある西国観音

十大弟子を安置する奥の院無漏窟 岩をくりぬいた日牌堂 見上げるような宝筐印塔 大野英令の墓 柔和な表情の百躰観音 天に通じる意の通天関 最上段にある西国観音
12年11月3日 8,806
Copyright (C) 2007 Bonichi. All Rights Reserved