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元名の砂浜に埋まる黄金石=鋸南町元名

黄金5000貫を運んだ石船?

明鐘岬は、安房と上総を分ける郡界尾根の西端、急峻な尾根が東京湾に落ちる部分である。国を分ける著名な岬とあって、昔からさまざまな伝説も残る。明鐘編は、この岬に関する事象と、登山編、日本寺編で扱わなかった部分を取り上げよう。

黄金石は、国道127号元名第2トンネルの南側の直下の砂浜にある。砂の中に埋まった石だが、これが岩盤なのか、単独の石なのかは、いまだに不明である。ただ黄金石と言い伝えられた話もあるから、ここは石であることを前提に話を進める。

ではその話から。

日本寺は国号を冠した「日の本の寺」として神亀2年(725)、行基によって開創された勅願所。聖武天皇から勅額宸翰(しんかん)と黄金五千貫を、皇后からは手ずからの刺繍になる三十三観音の軸物、御戸帳料などを授かっている。黄金五千貫を運んだのが、この黄金石といわれているのである。

つまり、砂に埋もれた黄金石は、大きな石船だったということ。明鐘の海岸に到着後、黄金は日本寺に運ばれ、船のみがここに残る。やがて砂に埋もれて、後世に黄金石と呼ばれるようになった。もちろん、想像の域を脱しないが、そんな石だと思うと、歴史ロマンを感じさせる。

その黄金石を訪ねた。現在、石はほとんどが砂に埋まった状態で、全容はまったくつかめない。どれほど砂に埋まっているのか。それを想像すると楽しくなってくる。

黄金石に打たれた測量標

石質は、いくつかの石が固まったような感じだ。近くの陸地が泥岩なのに対し、この石だけはまったく別の色である。この辺も黄金石と呼ばれるゆえんだろう。

平成17年(2005)度に行われた鋸南町の地籍調査では、元名一帯を測量している。海岸と陸地を分ける部分を確定したわけだが、実はこの黄金石にも測量標が打たれているのである。

測点名は「AF011―2」。世界測地系座標はXが「マイナス94170・900」、Yは「マイナス407・400」である。

この石が海岸砂地の境であった。仮に石であれば、波の力で動く可能性があるが、測量標があるということは、動かぬ岩ということか。

この点を町役場担当課に確認したら、GPS(全地球測位)での測量なので、仮に石が動いても、座標軸は確定している。大丈夫とのことだ。

【写真説明】元名の砂浜に埋まる黄金石=鋸南町元名

【写真説明】黄金石に打たれた測量標

12年12月3日 8,105
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