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そそり立つ不動岩

C不動山と金谷城跡

国道127号の明鐘トンネルを鋸南町から富津市に抜けると、左の海側にそそり立つのが不動山(岩)。国道を挟んでその真上にあるのが、金谷城跡である。

徳川光圀の『甲寅紀行』(延宝2年=1674)は、この岩と城跡を次のように表現している。

「此処に不動山あり。不動山の上に古城あり」

光圀は元名側から徒歩で明鐘岬を越え、この不動山に出合うのである。

不動山は国道の覆道(ロックシェード)の道下にある。かつてはここにドライブインがあり、その下には造船所があった。現在はいずれも撤去され、更地である。

歩道のフェンスの切れ目から、この更地方面に降りることができる。コンクリート坂を下りながら造船所跡地を右に見て、正面の階段を「くの字」に登れば、そこが不動堂である。

海に迫る金谷城跡

不動山の山頂部に間口2間、奥行き2間ほどのかわら葺き堂宇が建つ。潮風の当たる場所だ。コンクリート製の強固な建物だが、かつては木造だったのだろう。漁民の信仰が篤いらしく、船名の書かれた奉納物がある。サカキや日本酒も供えられており、いまでも信仰者が通っていることが分かる。

本尊は石の不動明王のようで、2体の石仏が並ぶ。

屋外には、やはりいくつかの石祠があるが、風化が激しく、溶けてしまっている石もある。

不動堂から南側の景色がいい。ひと際高い岩だから、明鐘岬までの磯場がよく見える。コンクリート坂は造船所の名残で、海までレールが敷かれていて、その先に白亜の岩が鎮座する。これも何か名前があるのだろうか。

不動岩の真上が金谷城跡である。かつてここにサルの劇場があったが、現在は健保の保養所になっている。その名も「金谷城スポーツセンター」。

富津市史によれば、城跡は金谷字要害にある。別称として明鐘城ともいう。真里谷信興が築いたとされ、上総国南部の居城、峰上城の支城であるという。南に君臨していた里見氏の北上を防ぐ城という説が一般的だ。

不動堂内にある不動明王像

昭和55年(1980)から2年間、継続して発掘調査が行われ、その全容が明らかになっている。主郭が南端の標高118b地点。その東側に空堀があり、主郭の西側に二の郭がある。

海側の絶壁に位置する典型的な山城であるという。

(年内の連載は、これで終了します)

◇岩殿山観音堂について 日本寺管理ではありません

16日付「明鐘編B岩殿山」で、記述不足で関係者にご迷惑をおかけしました。

日本寺敷地外にある「岩殿観音堂」の管理は日本寺ではなく、現在、管理者は不在です。日本寺境内には高雅愚伝師によって造営された観音堂があり、その後、岩殿観音は別の管理下に置かれています。

岩殿観音堂の現状を伝える記事でしたが、管理者への記述が足りませんでした。お詫びします。

【写真説明ヨコ1段半】そそり立つ不動岩=富津市金谷

【写真説明ヨコ1段半】海に迫る金谷城跡=同

【写真説明タテ2段 】不動堂内にある不動明王像

12年12月22日 8,592
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