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広重の「富士三十六景 房州保田海岸」

E浮世絵の明鐘を再現

関東の親不知、明鐘岬は古くからの交通難所で、江戸時代の浮世絵にも描かれている。有名なのは歌川(安藤)広重の「富士三十六景 房州保田海岸」。もうひとつは同じ広重の「房総の名所 房州保田の海岸」。同じ保田海岸を描いているが、構図が異なる。

前者は縦長の浮世絵、後者はうちわ絵である。

広重は房総へ二度、訪れている。最初は天保15年(1844)、江戸から船で木更津に着き、鹿野山を参拝。48歳のときだ。二度目は、嘉永5年(1852)の冬。おなじく江戸から木更津に着き、鹿野山を通って外房に出て、誕生寺、清澄山を参拝し、内房へ回って、那古観音から勝山・保田へ抜け、鋸山に参拝している。これは56歳のとき。

保田から見る富士山に感動し、この2つの絵を描いているのだ。

その浮世絵に登場した場所は、いまも確認できる。江戸時代に描かれた浮世絵の場所がなぜ、現代に特定できるかというと、この崖がいまもそのまま残っているからだ。

海蝕崖の模様さえ、そのまま。崖直下にフラットな岩盤。江戸時代の旅人は、この平場を歩いて、岬を越えたのだ。160年の時を超え、同じ風景に浸ると感慨深い。正面には霊峰・富士山。目の前にはコンクリート電柱が立ち、この景観を台無しにしているのだが。

今回は、この浮世絵を再現してみる企画。絵と同じ崖の下に立ち、浮世絵の構図を蘇らせようという試みだ。

「富士三十六景 房州保田海岸」は、磯慣(そな)れの松が生える崖下に、旅人が2人、小さく配置されている。崖下、荒波打ち寄せる磯場に、フラットな道がある。沖合には帆柱が立った舟。はるか対岸に白い富士が描かれている。

その再現が写真左側である。磯慣れの松こそないが、崖はそのまま。フラットな道もある。残念なのは電柱だが、この下に和服のモデル2人を配した。

「房総名所 房州保田の海岸」は、うちわ絵なので構図が横位置。崖下に女の旅人2人。手に杖を持つ。当時の旅の標準スタイルだろう。これを追うかのように葛篭を担いだ男の旅人が急ぐ。和服の美女2人をモデルに頼み、飛脚は記者(忍足)が演じてみた。

房州保田は、この浮世絵でどれほど有名になっただろう。現在でいえば、JRのディストネーションキャンペーンになったようなものだ。有名な浮世絵師の筆になって、風光明媚な保田は、広く人口に膾炙(かいしゃ)するようになる。

その絵が、21世紀でも再現できるということも、また素晴らしいことである。

【写真説明】広重の「富士三十六景 房州保田海岸」

【写真説明】「富士三十六景」の再現シーン

【写真説明】広重の「房総名所 房州保田の海岸」

【写真説明】「房総名所」の再現シーン

「富士三十六景」の再現シーン 広重の「房総名所 房州保田の海岸」 「房総名所」の再現シーン
13年1月12日 8,426
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