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マンモスの顔のようにも見える餅石

難所抜けて金谷側へ

承前。亀裂を川崎勝丸さんが先に越える。越えた先が垂直に切り立った崖。川崎さんは三点確保でこの崖を登り、念のため記者(忍足)にザイルを投げてくれる。

このザイルを頼りに、亀裂を越え、崖に張り付く。このとき、大きなうねりが入って、亀裂に海水が寄せた。するとどうだ。ザッブーンという音とともに、割れ目から潮が噴いた。これが潮噴きの地名の元であった。

国道127号には潮噴トンネルがあるが、それはここの真上である。山崎源治さんが言っていた潮噴きの難所とは、ここであった。

難所を無事越え、小休止。南側正面には元名平島が座り、その左には二間島。さらに沖合には大きな浮島が見える。光圀もこの光景を眺めたのだろう。

甲寅紀行には「桶嶋・白ごね嶋、近くに海中見ゆ」とある。これが二間島、平島だろうか。イソシギが「フィー」という独特の鳴き声で飛来していく。真っ白なコサギや大型のアオサギも見える。光圀もこの鳥の声を聞いたか。

炎天下、汗をかきながら進む。やがて黒っぽい岩が帯のように続く場所になる。この先に水が垂直に落ちる場所がある。鋸山登山自動車道の脇を流れる水が、国道下を通って、この磯場に落ちるのだ。落ち口がコンクリートで風情がないが、落水する姿はまさに「明鐘の滝」である。

滝の先に大きな岩が崖に持たれかかるようにある。マンモスの顔のようにも見えるが、餅(もち)が膨れたようにも見える。甲寅紀行には「餅石とて、石の上に疣贄(いぼ)あり」と記す岩がある。光圀はこの岩を餅石としたか。

餅石を過ぎた辺りが、国道127号明鐘トンネルの南側にあたる。この辺は、平たい岩場が広がり、地層が縦になって、千畳敷のようだ。地層の露出が少々歩き難いが、平場なので苦難ではない。

縦の地層に沿って歩くと千畳敷が海に落ちていく。この先は海になる。明鐘岬の安房側の先端である。

海の先に浮かぶ島が、冑(かぶと)島。光圀は「冑島は頼朝の冑を着たる処と云ふ」と書く。なるほど冑をかけられるような岩の形である。英雄伝説の類だろう。第一、大潮の干潮なのに、その島には徒歩で渡れない。島のひとつ手前の岩場に、潮の流れを見計らってようやく渡ることができたのである。

その後の地殻変動で、島が離れてしまった可能性もあるが、冑島の命名は絶妙である。

明鐘岬先端の冑島が見える

冑島から振り返ると、西に伸びた郡界尾根が頭上に迫る。岬のわずかな平地に喫茶店が立つ。ここが安房郡鋸南町元名字明鐘1番地である。

光圀は「山も、石も、皆南と、北と、両方に傾き向ふなり。これによりて、両国の境界は、自ずから分るるなり」とした。この明鐘の地層は、安房側が右から左へ、上総側は左から右に傾斜している。光圀はこれが明確な国境だとしたのである。

喫茶店の北側に、かつて砕石を運び出した港の設備が残る。ここにあるパイプ足場の階段を上って、陸上に。いよいよ上総側に足を踏み入れた。コンクリート護岸の下を歩いて、小さな砂浜に出る。砂浜の北側には石積みの護岸があって、この上に自動車販売会社の保養所が建つ。

保養所護岸の下を歩いて、北側の松の根元で休憩を入れる。炎天下、木陰がありがたい。

水分補給を終え、さらに磯場を北上すると、正面に出るのが、不動岩だ。岩の上にコンクリートの不動堂がある。漁民の信仰が篤いのだろう。漁船の名で奉納品が見える。

足元には、オレンジ色のスカシユリが咲いていた。無事、安房から上総に抜けられた。元名・鶴ヶ崎から、1時間50分だった。

光圀はこの明鐘岬の難所ぶりをこう書いている。

「明金の内に、八町許り難所あり。荷付馬通る事ならざる間、一町半余あり」

(明鐘編おわり。次回から人物編です)

【写真説明】マンモスの顔のようにも見える餅石

【写真説】明鐘岬先端の冑島が見える

13年1月26日 7,717
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