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拝殿での金岡靖幸さん=鋸南

E金岡靖幸さん

鋸山の山頂尾根から南側を眺めると、円弧を描いた元名海岸の南にツルのくちばしのように突き出た、小さな岬がある。これを鶴ヶ崎(つるがさき)という。もう少し南側の亀ヶ崎(かめがさき)と一対になる、鶴亀のめでたい名で、その間には吉浜という地名もある。

今回はこの鶴ヶ崎の根元にある、鶴崎(つるさき)神社の宮司、金岡靖幸さん(60)を取り上げよう。

災害で廃寺となった金剛院(神仏混淆)の16代目。神職だった15代目の父・正質さん(故人)の跡を継ぎ、平成5年に神職になった。鶴?神社の宮司で、鋸南町保田地区の8社も管理する。これら神社の祭礼を中心に、神事を司る。

社会人になり、化学メーカーに総合職として勤務。会社勤めの毎日だったが、父親の体も弱くなり「誰が先祖のまつりごとを……」と問われ、「自然な流れ」(金岡さん)で、神職になる。この転機で、やむなく安定した職を離れる。電気会社に移り、電気設備の仕事に従事しつつ、神職に軸足を置く毎日になり、兼業生活となった。

「いまは、神職としての父親の存在の重みを感じる。神社運営の重責を受け継ぐことで、氏子や地域社会に貢献できれば」と実感。「一度に大きな成果は出せなくても、行事や祭典を通じて、氏子と神社のつながりが広がり、強まれば」と、氏子らとともに管理する神社と、その周囲の整備を続ける。

鶴崎神社は由緒ある社で、郷社の社格をもつ。元和6年(1620)の検地帳に、名主の屋敷として「八幡崎八幡やしき」と載るといわれ、このころの創建とされる。祭神は八幡神。地元では鶴ヶ崎神社、鶴ヶ崎八幡神社などとも呼ばれていた。

町指定文化財の大絵馬「源義経弓流し図」(鶴?神社蔵)

宮司を引き継いだ金岡さんは、名称を鶴崎神社として正式登録。区、氏子役員の協力を受け、例祭のほかにも、毎月の月次祭も行い、一般祈祷もできるようになった。宮司の地元では、神道の葬儀も行われる。

拝殿は祭礼時に笛太鼓の練習場所となり、9月の祭礼前になると青年らが集う。潮風漂う境内に若者が群れるのである。拝殿には過去の祭礼の記念写真も並ぶ。

現代社会では、神社と住民の付き合いも希薄になりつつある。二礼二拍手一礼の作法を知らない人も多い。無言で頭も下げずに参拝する人も少なくない。「もっと多くの人に、神社を参拝してほしい。気軽に神社に接してほしいんですが」と金岡さん。「地域で生まれ育ち、やがて社会人になる。若い人こそ、人生儀礼や祭りを通じて、日本の文化、作法を身につけ、物の豊かさを追うばかりでなく、心も豊かになって、人生にいかしてもらえれば」とも。

鶴崎神社には、町指定の文化財がある。拝殿の天井にある大絵馬「源義経弓流し図」である。寛政10年(1798)の奉納で、「大野英令」の落款がある。大野は日本寺の羅漢像を刻んだ石工で、安永8年(1779)から寛政10年までの21年間、鋸山で羅漢像を彫った人物である。その最晩年に、地元神社にこの絵馬を奉納したということだろう。

大絵馬は平安後期、元治元年(1185)の源平屋島の戦いで、海中に乗り入れた馬上の義経が、敵船から繰り出す熊手を払いのけるうちに、その弓をかけ落とされ、うつぶして鞭で弓をかき寄せている場面。この神社にふさわしい堂々たる絵馬である。

が、その絵馬も黒ずんではっきりしない。「この絵馬も、いつか修復したいのですが……」と金岡さん。

【写真説明】拝殿での金岡靖幸さん=鋸南

【写真説明】町指定文化財の大絵馬「源義経弓流し図」(鶴崎神社蔵)

13年3月11日 9,204
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