企画・エッセイ » 記事詳細
カウンター内の玉木節子さん

L玉木節子さん

明鐘岬にある喫茶店「岬」には、元名の生き字引・山崎源治さんが写した虹の写真が飾られている。南側から見た鋸山の尾根に、縦に虹が架かる。その尾根が東京湾に落ちる場所に、この喫茶店はある。

その「岬」を経営して35年となるのが、玉木節子さんだ。電話は富津市金谷の市外局番だが、所在地は鋸南町元名1番地。由緒正しい、大字元名の第一番なのである。

熊本県出身の両親が、明鐘岬で石材を切り出していた。採石スペースが限界を迎え、両親は出身地にちなんだ飲食店「阿蘇」を開店する。その後、玉木さんのおいがライブハウス「ASO」に切り替え、さらに玉木さんが隣接地に喫茶「岬」を出す。手づくりの喫茶店は風雨の強い岬の突端にある。平成23年(2011)1月20日夜、火災で焼失してしまう。

名前は違えど、親の代から親しんだ店。玉木さんには大きな衝撃だった。が、常連客や協力者も多く、再建作業が続けられる。その年の12月22日には、ユニットハウスで営業を再開する。

初代の手づくり感はないが、新店は内部に木材をふんだんに使い、さらに眺めのいい店になった。常連客が看板を寄贈してくれたり、ウッドデッキをつくってくれたり。

実はこの岬の下の岩場を、釣り客らは「阿蘇下」といい、その先の磯場を「阿蘇下ハナレ」と呼ぶ。親の店の名がそのまま通称地名となっているのだ。玉木さんはこうした土地に強い愛着を持つ。たとえ火災で消失しても、必ず再建するという強い意思があった。30年以上も岬で店を出してきた。そんな矜持が再建を後押ししたのである。

有名人も大勢訪れる。個人名は秘すが、大物ロック歌手もこの店に通う。玉木さんとは電話で話す仲だ。お笑い芸人、芸能人も足しげくこの岬に通う。

そんな有名人との出会いのなかで、もっとも強力な「岬」ファンが小説家の森沢明夫さんだろう。7年前、別の取材でやって来たのが最初。その後、ひとりで訪れ「いつかこの岬と店を小説にしたい」と、玉木さんが鋸山の湧き水で淹(い)れたコーヒーをおいしそうに飲んで帰っていった。

再建された「岬」の前で

それから5年。森沢さんの小説『虹の岬の喫茶店』が世に出た。小説では名もない岬の喫茶店だが、一度でもこの店を訪れたことがある人なら、すぐに明鐘岬の玉木さんの店だと分かる。オートバイで訪れた大学生は森沢さん。読者の誰もがそんな想像を重ねる。音楽とコーヒーの店。トンネル北側にある入りにくい店。森沢さんは軽快な筆致で、岬を舞台に物語をつむいだ。

反響は大きかった。小説を読んで訪れる客が相次ぐ。小説を読んで懐かしくなり、30年ぶりにやって来た客もいる。小説は韓国語にも翻訳され、先日は韓国からはるばる訪れた夫婦もいた。

テレビや雑誌などの取材は数え切れないが、森沢さんの小説が何よりも大きな応援団だった。店では虹の岬の喫茶店を200部ほど売った。「書店よりも、実際に喫茶店で買いたい」という客が多いのである。

小説では、三本脚の犬やら、さえない大学生・今泉健やら、出刃包丁を持った強盗やら、初老の紳士やら、多士済々が登場するが、実際のモデルはいない。小説のキーポイントとなる虹の絵も存在していない。山崎さんの虹の写真も、小説発表後に贈られたものだ。

主人公の「悦子さん」を含めすべては、小説家が玉木さんとその周辺の客をイメージに編んだ物語なのである。

すっかり有名になった玉木さんと「岬」だが、玉木さんのコーヒーと音楽に関する情熱は不変だ。5年ぶりでも10年ぶりでも、二度目の客の顔は忘れない。初めての客にも分け隔てなく、鋸山のおいしい水でコーヒーを淹れる。第2の森沢さんが出現することもあることだろう。

次回は、その小説家にインタビューした物語。

喫茶店「岬」

鋸南町元名1番地

TEL0439(69)2109

定休日なし(荒天時は閉めることも)

午前10時から夕暮れまで営業

【写真説明】カウンター内の玉木節子さん=元名の「岬」で

【写真説明】再建された「岬」の前で=同

13年4月27日 37,745
Copyright (C) 2007 Bonichi. All Rights Reserved