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ギターを弾く坂井英一さん

25 坂井英一さん

「KANAYA BASE(金谷ベース)」の1周年記念で踊られる「金谷ふるさと音頭」。このご当地ソングを作詞・作曲したのが、坂井英一さん(58)。富津市の湊小学校の校長である。

君津市生まれで、同市在住。湊小学校長の坂井さんが、このふるさと音頭をつくったのには、金谷との太い絆があったからだ。今回はこの音頭をめぐるストーリー。

もともと歌手志望。19歳で知人男性とデュオを組み、音楽事務所に所属した。フォーク・ロック歌手を志し、プロとして演奏活動を続けた。音楽に没頭し、ライブハウスで演奏を続けた。高い報酬を受けるわけでもない。ただ音楽がしたかっただけ。「いま思えば、楽しい時間だった」。

そのフォーク・ロック青年を打ち砕いたのが、サイモン&ガーファンクルの来日だった。坂井さん27歳のとき。コンサートを生で見聞きし、その高い完成度に強い衝撃を受けた。格が違った。「自分(の音楽)は趣味でいい」。そう思って人生の針路を変更した。

歌手活動で大学は中退していたから、短大に再入学して教員資格を取った。現在では採用試験に年齢制限はないが、当時は30歳が上限だった。「年齢的に最後の最後の30歳」に採用試験を受け、合格した。遅くて遠回りした教員デビューだった。

平成2年に、1年生の担任となった。この時生まれた曲が「かけてくる1年生」。

木更津第一小や畑沢小時代の同僚・先輩が転勤になると、異動先でその歌を歌い継いでくれた。

このかけてくる1年生は現在、君津地方4市で歌われている。鋸南町の保田小でも昨年まで歌われていた。

その音楽好きの教諭は、富津市の金谷小へ教務主任として異動する。平成9年から4年間。その5年後、今度は教頭として金谷小に戻った。

ここで知り合ったのが、PTA会長だった鈴木裕士さん(人物編Q参照)だった。

金谷区長の諸岡善蔵さんら、地域の名士に依頼されたのが、金谷の名所を織り込んだ音頭だった。「音頭なんて、つくったことがない」と、いったんは断る。が、直後に金谷ふるさと音頭の曲が頭に浮かぶ。すぐに翻意して、曲づくりにかかった。

作詞するにあたり、鈴木さんら名士と打ち合わせる。ブレインストーミング方式で、歌詞として外してならない固有名詞を次々挙げてもらった。鋸山、ロープウェイ、フェリー、恋人の聖地、車力、石切、大鏡……。こうして6番まである音頭が完成する。

カップリングは、金谷小勤務時代に金谷川美化キャンペーン用につくった「金谷・我が故郷」。

歌唱や編曲は、「金谷歌う会」で一緒に活動している声楽家やピアノ教師。金谷小勤務の縁が、かつての音楽青年の思いを実らせた。2曲は「オール金谷」で完成した歌なのである。

「金谷は第二のふるさと。いろいろな人との出会いで、自分の音楽がある」と坂井さん。鋸山のギザギザを写したCDのジャケット写真も、古くからの友人の力作だ。

鋸山には、不思議な力がある。

CDは1000円(税込み)。金谷観光案内所「石の舎」(0439―69―2840)で扱っている。


金谷ふるさと音頭

作詞・作曲 坂井英一

編曲 湯川 徹

歌 伊藤道世・坂井英一


空にヨー 聳(そび)える鋸山の

懐に抱かれてよ 栄えゆく金谷

ロープウェイで上ればよ キラリ眩(まぶ)しい東京湾

ロマン求めて この町ゆけば

フェリーの港に 恋人の聖地あり


今もヨー 残るよ車力の道がよ

人々の暮らしをよ 支えた石よ

山に向かって目を閉じて 耳を澄ませて聴いてごらん

聞こえてくるでしょ 石切の音

力を合わせる 男たちの掛け声と


沖のヨー 鴎(かもめ)が伝えて久しい

大鏡の祀られた 鉄尊(てっそん)様よ

日本武尊(やまとたける)の言うことにゃ 夫婦仲良く暮らせばよ

子どもも笑って すくすく育つ

おらほの学校(がっこ)に 童(わっぱ)の声こだまする (4〜6番略)


金谷・我が故郷(ふるさと)

作詞・作曲 坂井英一

編曲 島津智子

歌 伊藤道世


浜を吹く風と 波の打つ音に

包まれて 薫り立つ 金谷の里よ

川の水面に この身映して……

清き流れ 永久(とわ)に

我が故郷


沖を往く船は 光り輝き

振り向けば 聳え立つ鋸山よ

風は 雲となり絶えずたなびき……

白き心 永久に

我が故郷


磯に遊ぶ童(こ)と 寄り添う翁

節くれだった指が 朝(あした)を語る

日暮れて 家路に向かう影法師……

深き情(なさけ) 永久に

我が故郷


【写真説明】ギターを弾く坂井英一さん=富津市の湊小で

13年7月27日 39,790
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