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自宅兼スタジオで千代正行さん

28千代正行さん 房総病にかかった音楽家

南房総に縁のない人がこの地の魅力に惹(ひ)かれ、やがて住まいを移したくなる。これを人は「房総病」という。東京から近いのに、住民は純朴で、冬暖かく食物は豊富。魅力満載なので、この病にかかると、人はどうしても移住してしまうのだ。

鋸山南麓に房総病にかかったミュージシャンがいる。一目ぼれで選んだ地。自宅2階踊り場の窓を開け、毎朝鋸山を眺めては、満足するという徹底ぶりだ。

みなみらんぼう作詞・作曲の大ヒット「山口さんちのツトム君」をアレンジしたことでも知られる、千代正行さん(58)は九州・博多の出身。千代家は古くからの名家で、千代町という地名になっているほど。その名家の五男に生まれ、オーディオマニアの父のそばで、ジャズやクラッシック音楽を聞いて育つ。音楽耳の素養は、子どものころの経験からだ。

小学4年生のときに、高校生の兄が結成したバンドのメンバーが欠員となる。兄は弟に「ギター弾け」。が、小4の悲しさ。指が短くてコードを押さえられない。1週間特訓してメロディーを弾いた。地元の祭りがデビュー。アニマルズの「朝日のあたる家」をやぐらの上で披露した。翌朝、近所の人が「マー君、かっこいい」。これではまった。

中学でブラスバンド。高校へ進んでも音楽ひと筋。クラシックギターは玄人はだしで、生徒に指導するほどだった。高校のコンクールで入賞するうち、「音楽で食べていきたい」と決意。

選んだ大学は音大ではなく、青山学院大。「当時、(大学のある)渋谷周辺にはレコード会社がひしめいていて、とりあえず、この大学に入れば(レコード会社の)スタジオミュージシャンと知り合える」という、単純な理由だった。

入学後、大学周辺の飲食店を回ってレコード会社のディレクターを探した。うまく接触できたのが、みなみらんぼうの担当ディレクターだった。こうしてスタジオミュージシャンとしての活動が始まる。そのうち、山口さんちのツトム君のアレンジの仕事が舞い込む。4拍子の曲に3拍子のイントロを組んだ。見事に当たり、ご存知のような大ヒットにつながる。「新進気鋭のアレンジャー現る」。当時の音楽業界を席巻した。

仕事は次々舞い込んだ。が、千代さんは「自分はギタリスト。アレンジャーではない」と、編曲の仕事を断り、渡米してしまう。2年ほどで帰国すると、今度はCM音楽のオファーが待っていた。「500曲はつくったね。コカコーラ、マクドナルド、日産自動車、トヨタ、ナショナル……」。挙げればきりがないという。

踊り場の窓から見える鋸山

そんな飛ぶ鳥を落とす勢いだった千代さんにも、転機が訪れる。那須高原での音楽イベント。東北新幹線が開通し、東京から1時間通勤圏ともてはやされた。千代さんも那須に惹かれ、那須への移住を考えていた。そこに登場したのが、大手広告代理店の社員。「那須は1時間圏内だけど、東京から200`。嫌になって舞い戻った人も多い」と聞かされ、躊躇(ちゅうちょ)するように。その社員氏いわく「同じ1時間でも、千葉という場所がある。ここなら80`。アクアラインもある」。

それが保田地区だった。鋸山を越えた南は別天地。次の日、気軽にドライブに出た。行き先は南房総。鋸山を越えたら不思議な「気」を感じ、「あれれ」と思った。一目ぼれだった。たまたま元名に貸家物件があった。内部のつくりが音楽スタジオ向き。「ここなら落ち着いて曲がかける」。すぐに契約した。3年前の9月のこと。その半年後に、東日本大震災が起こる。

仕事がら月に半分ほどは東京へ出て、演奏活動をする。普通のミュージシャンは、そのまま東京に居残るが、千代さんは違う。「早く鋸南に帰りたい」。東京では落ち着いて仕事ができない。もう東京の自宅へは戻る気もない。

そんな千代さんの暮らしは、毎朝、鋸山を見上げることで始まる。数々の名曲は鋸山の麓で生み出されているのである。「ここでの暮らしが100点満点で何点かって? 120点」。まさに房総病罹(り)患の音楽家である。

【写真説明】自宅兼スタジオで千代正行さん=鋸南

【写真説明】踊り場の窓から見える鋸山=同

13年8月24日 38,357
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