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私は大学卒業後、仕事ばかりの生活をしてきましたから、家族といっしょに楽しく遊びに行ったという想い出はほとんどありません。そんな父親を見て育った子ども達は、だれも医師になりたいとは言いませんでした。私自身が、親の仕事(夫婦2人だけでやる田舎の陶磁器卸商)を継ごうとは全く思わないで生きてきましたから、それもいいだろうと思っていました。

そんな中、末娘が医学部へ行こうかと言いだした時には正直言って驚きました。一番下の子にはいつまでも子どもでいて、親に甘えていてくれるのがうれしいので、「(一緒にいたことなどほとんどないくせに)お前はどこへも行かずに、ずーーーっと、お父さんといっしょにいればいいんだよ」と言い続けてきましたから、自分がよく知っている厳しい医師の道を一番歩ませたくない子でした。高3になってから「医学部へ行こうか」と言いだした時も、そんな強い意志で言っているわけではないだろう、と思って、「国立大学の医学部を狙うよりも東大の理科一類とか二類へ入っておいて、それからゆっくり将来何になるかを考えればいいよ」と提案していました。1か月に一度しか会わない親子関係ですからゆっくり話しあうこともなく経過しているうちに、高校の先生のアドバイスもあって、医学部を受けることになっていったようです。

私が40歳になってから生まれた子ですので、私の定年前にどんな学部でもどこでもいいから国立大学へ入って安心させてくれればよいと思っていました。従って、今は国立大学でも推薦入学試験というものがあると訊いてからは、これで受かってくれれば一番いいな、と思うようになりました。「親の気持ちは親になって初めて分かる」という言葉を実感した時でした。私は心筋梗塞と脳腫瘍で二度、倒れていますし、親から受け継ぐ資産がまったくない人間ですから、私立大学へ行くとなると、学費のことがとても心配なのです。「国立に合格するのは難しそうだから、私立も受けておいてよいか」と訊かれた時には、「いいよ」と答えたものの、内心は学費のことがとても心配でした。

推薦入学試験を受けたいと高校の先生に言ったら、先生が「君は自分を上手くアピールするようにしゃべることが苦手そうだから、推薦入学試験に合格するのは容易ではない。普通の前期試験、後期試験を受けた方がよい」と言われたと聞いた時には、私はガックリきました。しかし、若い医師達に訊いてみると、「国立大学を受験する機会が3回に増えるわけだから受けた方がとくですよ。受かってしまう可能性もないわけではないですから」というので、それはその通りだと思いました。

11月になって山形大学医学部の推薦入学試験がありました。受験後は、学校の先生から「推薦入学試験に受かるのは容易ではない」とは言われていても、私は自分の年齢と健康状態を考えて、なんとか受かってくれ、と祈るような気持になっていました。実際、鴨川の大山不動尊と高倉神社へ御参りにも行きました。娘が既出問題(長文の英文を読んで、そのうえで課題に従って数百字で意見を述べるもの)をやって、その答えを書いてメールで送ってきたことがありました。そのメールを読んだ時、意外と上手く書けているなと驚きました。「これだけの英文読解力と文章力があれば、合格させてもよいのではないか。文章を書く勉強をまったくしていなくてもこれだけ書けるのは、さすがに俺の娘だ」と勝手に親馬鹿をやりました。

例え合格するのは容易ではないと言われても、また娘本人から時間がなくて十分に書ききれなかったと言われても、私は親馬鹿的発想から、「あれだけの文章が書けるなら合格するはずだ」と勝手に思って合格発表日を一日千秋の思いで待っていました。

12月6日、学校の先生を初め多くの方にご心配をお掛け致しましたが、私の期待通り、合格となりました。「これで自分が心筋梗塞の再発作で突然死しても大丈夫」と解放された気分です。親の気持ちは親になって初めて分かる、というのは事実です。この歳になって、改めて自分の両親に感謝、感謝です。

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加納宣康 昭和24年8月4日岐阜県生まれ。現在、亀田総合病院特命院長補佐、主任外科部長、内視鏡下手術センター長、マハトマ・ガンジー・メモリアル医科大学名誉客員教授、帝京大学医学部外科学客員教授

(この原稿は加納医師が、本紙読者のためにボランティアで執筆しています)

07年12月10日 13,732
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