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前回はカジノやパチンコなどの賭け事に関するお話しをさせていただきましたが、きょうは、私の学生時代のパチンコなどの賭け事に関する思い出をお話しいたします。

学生時代は、医学生といえども、医師になってからよりも暇が十分にありましたので、パチンコに興ずる時間もありました。

パチンコを何度もやっているうちに、絶対に負けない方法はないかと考えるようになるのは、皆さまと同じです。また一方で、パチンコ屋で長時間を費やすのはあまりにも非生産的ですので、小額でもよいから短時間で確実に儲ける方法はないかと考えていました。

私が思いついたのは、大学の近くのパチンコ屋へ閉店時刻近くに行って、その日の終了台を記憶おいて、翌日早めに行って、前日の終了台で、短時間でこまめに儲けを確保するという方法でした。あのころの額で言うと、1000円の儲けが確保できたら、粘ることなく引き上げることにしていました。その基本方針を守れば、大もうけはできなくても、パチンコ屋で長時間を費やすことなく、食事代くらいは稼げていました。そのおかげで、大学の生協食堂ばかりではなく、街中の定食屋で豪華な(?)食事を堪能することができていました。

同じ店で連日同じことを繰り返すと、店員に怪しまれますので、適宜、店を換えていました。幸い、当時の岐阜大学医学部のキャンパスは繁華街として有名な柳河瀬から歩いていける範囲内でしたので、私の下宿の周りにもパチンコ店がたくさんありました。

現在の岐阜大学は統合移転しまっていて、岐阜市郊外にあり、街中から遠く離れていますので、歩いてパチンコ屋へは行けないと思います。現在の学生たちにこんな話をすると、まったく土地勘の働かない、遠い世界の話だと言うでしょう。

パチンコ以外でよく覚えているのは、柳河瀬にスマートボールというような名前のゲームの店があったのですが、数回通ったところで、こういう規則に従ってやれば、絶対に儲かるという方法を私は発見しました。残念ながらパチンコのように変換システムはなかったのですが、獲得したコインを預けておいて、次回、また使える、とうシステムでした。

必ず勝てる法則を発見したので、友人たちに教えていました。多くの人たちから、せっかく見つけた方法だから、内緒にしておいた方がよいのではないか、と言われていましたが、私はこのやり方を教えてあげると、皆さんが喜んでくれるので、自慢しながら、たくさんの人に教えていました。

ある時、その店へ行くと、「お客様の入店はお断りします」と言われてしまいました。どうも私が店に被害を与えている犯人と見なされてしまっていたようでした。その2か月後くらいにその店は閉店していました。

ちょっと気の毒に思いました。

私は競輪、競馬にはまったく興味がなかったのですが、友人が「金を渡してくれたらオレが買っておいてやるから、やってみろ」と言うので、確か2000円を渡して、オマエの好きなように買っておいてくれ、と頼みました。そうしたら、最初の数レースは勝ち続けてで、10万円を超える儲けになったのですが、そこで止めといてくれればよいものを、彼が「加納にはツキがあるからと思って、次のレースに全額注ぎ込んでしまったら、全額パーになってしまった。すまない」という結果でした。下手にこの時、大勝ちしていたら、競輪にのめり込んでいたかも知れないので、あの時、負けてよかったと今も思っています。

以上、私の若いころの賭け事の思い出でした。

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加納宣康 昭和24年8月4日、岐阜県生まれ。千葉徳洲会病院長

(この原稿は加納医師が、本紙読者のためにボランティアで執筆しています)

18年10月22日 607
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