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私が2016年4月に院長として千葉徳洲会病院へ赴任して、間もなく、満3年になります。

赴任当時、院内には問題が山積していて、大いに悩んだものでした。

72病院を持つ徳洲会グループの中でも、問題の赤字病院の典型例のように言われているのが分かったときには、「しまった。もっとよく調べてから引き受けるべきであった」と後悔したのですが、赴任してしまった以上、病院の問題点を洗い出して、一つ一つ解決していって、黒字病院にしていくしかないと覚悟を決めました。

若い外科医たちに手術を教えて、かなり軌道に乗ってきたと思った矢先に、脳出血で倒れました。私は2003年に右冠動脈が根部で完全閉塞するという、かなり重症の心筋梗塞を患い、幸い救命されたものの、再発予防のためにその後は抗凝固剤のワーファリンと抗血小板剤のバイスピリンを服用し続けていたので、常に脳出血、鼻出血などの出血を起こすリスクはあったのですが、心筋梗塞の再発が恐ろしくて、ワーファリンも5_cとかなりの量を服用し続けておりました。

そのうち、ちょっとした風邪をひいて強い咳が数日間続いた時がありました。ある夜、あまりにも咳が強いので、こんなに激しく咳き込んでいると、脳出血になってしまいそうだ、と思って一夜を過しました。翌朝、目覚めて出勤しようとしたところ、自分がどこに居て、いつものエレベーターがどこにあるかも分からなくなっている自分を発見しました。「あちゃー、今日は麻薬性の鎮咳剤を処方して、これで激しい咳を抑えて、脳出血を防ごうと思っていたのに、遅かったか」と思いました。自覚症状からかなりおおきな脳出血が起こってしまったと自己診断できました。

どうやって病院まで自力でたどり着いたのかは分かりませんが、院長室へ到着して自分で、「脳出血だから、すぐにCTを撮ってほしい」と頼んだようです。脳外科医達がすぐに検査をしてくれて、かなり大きな脳出血ですよ、と診断してくれて、そのまま入院治療となり、病院の再建計画のことは一時忘れることにしました。

その後、脳の血腫が6a近くの大きなものだと言われたので、病院の再建計画のことは、しばらく忘れることにして治療に専念しました。しかし、第3病日以降は、病院再建の要となる医師集めの作業は再開し、しぶとく続けました。意識が朦朧(もうろう)とする中、いろいろな医師にメールを打ち続けていました。

大きな血腫が徐々に吸収されていき、リハビリ治療の効果も出て、退院が許されることになり、退院後は手術にも復帰して、若い医師たちを「あそこまで行っても復活できるのですね」と驚かせました。

ところが、脳出血以前の外科医生活に完全復帰したと自信を深めていたところに、2回目の脳出血が起こりました。1回目の時は漢字が書けない症状が出ていましたが、2回目の時は平仮名も片仮名もまったく書けなくなっていたのでショックでした。

2回目の脳出血後も懸命にリハビリ治療に励み、院長職に復帰し、病院の経営改善も達成できました。短期間に医師数を飛躍的に増やして、病院の経営を黒字化できました。

ここまで来るには、私も大変苦しみましたが、この病弱な院長を抱えて、日常診療に積極的に励んできてくれた職員一同に感謝の気持ちでいっぱいです。

私の院長としての3年契約の任期はこの3月末で切れますが、これからもできるだけ職員たちの力にはなっていきたく思っています。

最近、某医療グループの理事長さんから、「カリスマ外科医と呼ばれていた加納先生も、最近では、カリスマ経営者の仲間入りをされましたね」と言われましたが、私は根っからの外科医ですので、後者のような表現はあまりうれしくありません。やはり外科医として評価していただけるのがうれしいです。一方では「もう賞味期限切れだから諦めよ」という声に謙虚に耳を傾ける姿勢も堅持していく覚悟でおります。

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加納宣康 昭和24年8月4日、岐阜県生まれ。千葉徳洲会病院長

(この原稿は加納医師が、本紙読者のためにボランティアで執筆しています)

19年2月25日 795
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