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児童の虐待死事件の報道が相変わらず続き、本当に日本社会はどうなってしまったのか、と悲しくなります。

児童相談所と警察の連係プレーのつたなさが原因の大きなものと認識されているようですが、児相の忙しい実情を知るにつけ、児相の職員にも同情したくなります。

自分の子ども時代には、こんな出来事は聞いたことがなかったので、どうしてあのころはこういう事件がなかったのかと考え込んでしまいました。

昭和時代前半の思い出話ですから、若い人が聞いたら、鼻で笑って聞き捨てられそうですが、それを覚悟して書いてみます。

私の子ども時代の田舎では、社会全体が相互監視、観察の中に置かれていたと言えると思います。良い面も悪い面もあったのでしょうが、少なくても、現在問題になっている「子どもの虐待死、衰弱死」を許さない効果はあったと思います。

当時は隣組とか、子ども会といった組織もあって、必ず近所の子どもたちを見る、また看ることになってしまっていました。

私の家などは、ご近所さんとお風呂も交代で沸かして、入り合っていたので、隣のおじさんや、おばさんとも一緒に風呂に入る機会も多く、体にあざでもあれば、「あんた、これどうしたの?」と聞かれて、何が起こったのかが直ぐにばれてしまうのでした。

お隣さんが冠婚葬祭などでお出かけの時は、飼い犬もご近所の家で勝手に食事をいただいていたのですから、今の若い人には信じられない互助組織だったでしょう。

そんな昔のご近所関係からは、近所の子どもが衰弱死するまで放置されていることはありえなかったのです。

今の日本社会で、昔のような隣人関係を復活させようとはいえませんし、現実離れしたアイデアです。

しかし、児童相談所と警察まかせではなく、もう少し隣人意識を持って、互助および相互観察をしてもよいのではないかと思います。「相互監視」というと抵抗を示す方もあると思い、観察という言葉を用いましたが、これ以上、物騒な社会情勢になると、「相互監視」と書いても抵抗感がなくなるのではないかと心配しています。

児相、警察の仕事ぶりをチェックするのも地域住民の任務のひとつと認識すべきです。

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加納宣康 昭和24年8月4日、岐阜県生まれ。千葉徳洲会病院名誉院長

(この原稿は加納医師が、本紙読者のためにボランティアで執筆しています)

6月17日20時00分 682
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