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日本が超高齢化社会になって、医療機関、介護施設などへの老人の収容が注目されるようになってきました。

そんな中でも老人健康保険施設(老健)という名で呼ばれている、病院と介護施設との中間をいくような性格の医療介護施設があるのを読者の皆さまもよくご存じだと思います。

私自身が老健という言葉を初めて聞いたのは、1980年代の後半で、当時勤務していた松波総合病院が全館コンピューター化された、超近代的病院をつくったときに、古い病棟を老健として使い出した時でした。

当時はまだ老健という言葉にわれわれ医療従事者もよくなじんでいなかったころですので、松波英一理事長(当時)が、老健は「かなり元気になられたけれども、まだ自宅へ帰るのは不安だという患者さんに、3か月をめどに入所していただく施設です」と何度も説明しておられたのを記憶しています。

当時の松波総合病院での老健は、現在では広く普及した老健の走りであったと私は思っており、松波先生の斬新な発想に敬意を表しております。

超近代的病院のすぐ隣にできた老健は、3か月をめどに治療とリハビリに励んでおられる患者さん(正確には入所者と呼ぶべきでしょう)にいていただくには理想的な環境であったと思っています。

私は新しい手術手技を開発して、大きな手術をして患者さんを元気にすることに専念していましたので、老健の施設長には、外科医の大先輩である当時の副院長に就任していただきました。

老健の施設長が外科の先輩であったため、入所中の患者さんに何かあったときには、手術を要するような事態かどうかを的確に判断していただけるため、総合病院で外科の責任者として働いている私にとっても、大変、心強い存在でした。

新病院完成までは、外科医として働いてくださっていたW先生に、「老健の施設長というお仕事は、外科医としては少し寂しくはないですか」と、お聞きしたことがありましたが、大先輩のW先生は「医師の仕事も、年齢によって変わっていくべきものだよ。加納先生は、得意の手術の腕を十分に使って、多くの患者さんをこれからも救っていく努力をしなさい。私は、自分の年齢と体力を考えたら、老健の施設長がこれからの自分に与えられた医師としての任務と考えているから、心配しなくて良いよ」とおっしゃいました。そのお言葉を聞いて、自分の浅はかさを反省したことを覚えております。

本当に老健での仕事は、大変重要であることが、その後の時代の流れで証明されてきたと思います。

実は現在、私が勤務している千葉徳洲会病院にも付属の老健があり、そのうちのひとつで、最近、施設長の医師が高齢化して、お疲れ気味なので、先日お手伝いに行ってきました。

老健の入所者にも本当にいろいろな疾患を持った方がおられ、日々、状態が変化していくので、医師の常駐を必須条件にしている厚生労働省の方針は正しいと実感いたしております。

「老健」という概念が普及しだしたころには、老健は高齢となった医師の職場、というイメージが強かったのですが、現在の医師たちは、若いころからその重要性をよく理解していて、若いうちから老健施設での勤務を希望する人も増えています。

私自身が老健に入所させていただく年齢になりつつありますが、これからの老健は、高齢医師のみならず、若い医師たちも、若いころから入職を希望する職場になると感じているきょうこのごろです。

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加納宣康 昭和24年8月4日、岐阜県生まれ。千葉徳洲会病院名誉院長

(この原稿は加納医師が、本紙読者のためにボランティアで執筆しています)

7月1日20時00分 455
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